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「好き」を綴る365日、148日目。

思い出を振り返るのが好きです。

それは、決して過去に浸りたいから、ではなく。
「ああ、こんなこともあったなぁ。このときの出来事が今の自分を形づくる一端を担い、そして、未来への道をつないでくれるんだ!」
と、今日を生きるチカラにしたいが故の振り返りなのです。

思い出を掘り起こす(笑)のに、とても役立ってくれているのがFacebook。
10年近くFacebookを活用しているのですが、観察力と好奇心を維持(できれば向上)するために、ほぼ毎日画像とともに雑感などをアップしておりまして。
「思い出」タグから「過去のこの日」を振り返ることができるため、一日の始まりに「思い出」を紐解くのが日課となっているのです。

わたしはフリーペーパーの編集部出身ということもあり、書くときには「おしなべて9割のひとが読んで理解していただける文章」というのを心がけていて。
Facebookでは長文になりすぎないよう心がけています。
そして、ほぼ必ず画像を付けることにしています。

これがね、自分にとってイイのですよー◎(結局自分のため・・・)
画像&長すぎない文章から、瞬時にそのときの気持ちや情景が蘇り。
ウッカリ涙することもあったりして・・・

今朝は、涙こそこぼれなかったけれど。
わたしが敬愛する亡き祖父との思い出が上がってきましてね。
祖父との日々をしみじみと思い返しました。
画像は、今日のFacebookに上がってきた思い出の1枚。
8年前の今日は、90歳のお誕生日を3日後に控えた祖父と、お気に入りのお蕎麦屋さんへランチに訪れていました。

まだこのときは、祖父自身の足で歩くことができていたんだな。
お蕎麦を祖父が自分で蕎麦猪口へ移すこともできていたんだな。

晩年へ向けてだんだんと足が弱っていった祖父。
それでも、祖父が希望することを叶えたい!
そう考え、わたしは手を引いたり、車いすへ乗せたりして、最後まで祖父とお出かけしていたっけ。

48歳で初孫のわたしが生まれ、おじいちゃんとなった祖父。
祖母はそのとき46歳。
わたしは若いおじいちゃん・おばあちゃんのことを「おとうさん、おかあさん」と呼んで育ちました(両親の呼称は、パパとママでした)。

チューチューおしゃべりするわたしは、
「おとうさん、何か食べに行こうか!」
「おとうさん、何が食べたい? どこそこのお店はどう?」
「おとうさん、おいしいね! このお店はね、取材に来たことがあるんよ」
などなど、いつもかしましく祖父に話しかけていたので。
うるさかったかなー?と思っていたのですが。
母(祖父にとって、実の娘)いわく、
「おとうさんは、あなたとのお出かけが楽しいみたいよ。
 あなたがたくさん話しかけてくれるから」
と。
よかった、おとうさん、喜んでいてくれているんやね!と安堵し、嬉しかったのを昨日のことのように記憶しています。

・・・わたしが自分の過ごした日々を手軽に振り返るツールはSNSなわけですけど。
memoremoがそういうツールのひとつとなるようにしたいな。
わたしは紙でつくるmemoremoばかりを考えていたけれど、WEBともリンクさせたらいいよね。

と、今日も頭の中はmemoremo構想でいっぱいなのでした。

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