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1日ひとつ、イイコト探し☆ #39

【夜明けの空港にて、弟一家を笑顔で見送る】

弟一家が10日間の帰省を終え、自分たちの街へと帰って行きました。

3年ぶりに、よきひとときを過ごせたと思っています。
わたしは2019年の暮れに弟と大喧嘩をしまして。
完全仲直りに3年の歳月を要しました。

その間、父が亡くなり、祖父母や父の法要があり。
弟は自身の病を少しでも良くするために手術を受け。
弟のところのひとり娘は小学校へ入学。
わたしの娘たちもそれぞれ進学や卒業、転職などを経験。
わたし自身も起業、転職をし、現在は3足の草鞋を履いていて。

いろいろあったなぁ。
そのどれが欠けても今はなく、仲直りには辿り着かなかったでしょう。

自分で言うのもアレなんですが、元々はとても仲の良い姉弟でした。
異性の兄弟姉妹にしては、ということですけどね。
2歳しか違わないということ、幼い頃は官舎の狭小住宅で暮らしていたため同じ部屋で育ったこと……が、仲の良さを育んだと、わたしは分析します。

しかし、性格は結構違っていて。
性根は同じようなものを持っているのでしょうが、表向きはわたしが陽気なキャラ、弟はおとなしいキャラだったと思います。
いつもわたしがワァァァァ!と喋って騒いで笑って目立って(笑)いたので、弟はおとなしくしていた、みたいな感じかな。
母によく言われました、「まみちゃんが全部代弁してしまうから、あの子(弟)はなかなか喋らなくて。喋ったと思ったら『バカ!』とか言うし……」って。
わたしが弟の言いたいことをぜーんぶ喋ってしまうから、弟は喋る必要がなかったのだそうですよ(笑)

でも、弟の方が頭脳明晰、しかも努力家。
中学校に上がった頃から、確実に弟の方が勉強の出来が良くなりました。
これが、〝姉弟〟だから成長期の変化(立場の逆転?)を上手く乗り切れたのだろう……というのは、今になって思うこと。
弟がいわゆるエリート街道を歩んでいくのが妬ましいと思ったことは、一度もありません。
わたしはいずれ嫁いで家を出るだろうけれど、弟は長男で家を継がねばならないし、自分に家族ができたら養っていかねばならないから、少しでも良い仕事に就いて頑張ってもらいたい。
そう思っていました、常々。

そうそう。
弟がなかなか良縁に巡り逢えなかった頃のこと。
わたしは祖父から、「姉として、お嫁さんを探してあげなさい」と言われ……探して紹介したのが、今の奥さんです。
(今思えば、祖父はとんでもないことを言ったし、それを受け止めて忠実に履行したわたしもある意味すごい 笑)
弟が病気をしてしまった今となっては、彼女に苦労をかけることになり、申し訳なかったと思うのですが。
でも、彼女と結婚していなかったら、弟は死にものぐるいでリハビリを頑張ることも、復職することもなかったでしょう。
〝守るものがある、支えてくれるひとがいる〟ことの素晴らしさを、弟一家を見ていてひしひしと感じました。

弟が病に倒れたとき。
父自身が闘病中で駆けつけられなかった両親に代わり、飛行機に乗って向かったのはわたしです。
「来たよ!」って病室に顔を覗かせたわたしを見た瞬間、弟が驚いて目を見開き、涙をこぼした姿を今日思い出しました。
あの日から3年4ヶ月、よくぞ回復したよ。
多分、あの大喧嘩も病気の後遺症の仕業だったんだよね。
今になったらそう思えます。

今年の秋、弟が実現を希望していることがある……と、今朝空港へ送る車中で聞きました。
本人は「無理だよなぁ……」と諦めようとしている風でしたが、どうにかして実現できないかと、わたしは考えを巡らせています。
諦めてはいけない。
弟が回復を信じて頑張ったように、諦めずに模索すれば必ず道が見つかるはず!

早速に今年の目標がひとつ増えましたー。
わたしはわたしの人生を生きる、って思ってはいますが。
結局、誰かのために動く、この性分は直らないのですよ(笑)
でも、これでいいよね!こんな自分がいいんだよね!と自分に語りかけてみる休日の夕暮れです☆

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