君が忘れる、君の「成功体験」
最近、息子がつかまり立ちをするようになった。
立ってはみるんだけれども、まだまだ頭の大きな赤子、そこはバランスがうまく取れなくてAma○onのCMよろしく真後ろにバタンとしてしまうから、こちらは立ったのを確認するたびに黒子のごとく駆け寄って、後ろで倒れ待機する羽目になる。
おまけに近頃は、ひっそりと音を立てずに立つのが得意になってしまった。
バタン!という音で振り返ると、いつの間にかつかまり立ちをしていた息子が、目を丸くして倒れている(なぜか時間差で泣き出す)ということがしょっちゅう起こる。
親の心子知らず、の「子」は、赤子のことを指すのではないか?と遠い目をする毎日だ。
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しかし今日、息子の朝の離乳食を準備しているときのこと。
キッチンスペースにある麺類をしまってある箱で、いつの間にかつかまり立ちをしていた息子が、左手を箱の上、右手をその横の壁につけながら、ひざをじりじりと折り曲げていく姿を目撃した。
しゃがもうとしている……!!
驚いた。
もちろん、私たち大人にとって「しゃがむ」という行為は、朝飯前のさらに前、くらい当たり前のアクションだ。スーパーマリオだって十字キーを押せばしゃがむ。
しかし、彼にとっての「しゃがむ」は、大きな発明だ。
なぜなら私は彼に「立つ」「歩く」は練習させたけれども、「しゃがむ」ことは教えていないのだ。
きっと彼は、自分なりに考えたのだろう。
このまま体を後ろに倒せば、また頭をぶつけてしまう。頭をぶつけないようにするためには、おしりを下につける必要がある。
じゃあ、おしりを下につけるためにはどうしよう?
そうだ、ひざをまげてみればいい。ひざをまげることで、どうやらこのおしりという体の一部は下に下がってくれるみたいだ……。
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私は、彼が寝返りを打てるようになる前のことを思い出した。
どうにかして体を動かしたい。あおむけから、うつぶせの状態へと持っていきたい。
そのためにはまず、片足を逆側へと持っていく必要がある。
このときの足の勢いに加えて、腰や背中にうーんと力を入れて、体を斜め上へとひねり上げる。
よいしょ。よいしょ。
ころり。
どや顔で寝返りを成功させて見せた彼を見ながら、思ったのだ。
人間は、一つボタンを押せば動くゲームのキャラと違って、自ら体のあらゆるパーツに、適切に力を入れないと、動くことができない生き物だ。
そしてその力の入れ方は、今の息子のように何度も何度も練習して、失敗して、ようやく習得することができる。
でも、きっと彼は忘れてしまう。
こうやって一生懸命体を動かしていたことも、自ら力の入れ方を工夫してみたことも、全部。
成功体験として、彼の中に残ることすらないのだ。
だったら、私が覚えておこう、と思った。
「この体は自分のものである」という認識すらおぼつかなかったときに、自ら体を動かそうと努力していたこと。
そうしていくつもの新しい動きを習得してきたこと。
頑張っていたこと。
すべて覚えておいて、そしていつか話してあげたい。
君が動けるようになったのは、それだけで本当にすごいことなんだって。
***
このときはうまくいかなかったけれど、後に息子はこれまたひっそりあっさりと、私が一瞬息子に目を向けたその瞬間に、「しゃがむ」を成功させた。
「いちくんすごーい!」と、少々大げさに声をあげて、パチパチパチ、と手を叩いてあげる。
息子も嬉しそうに、自らの両手をパチパチと叩く。
赤ちゃんの毎日には、たくさんの「成功」が詰まっている。