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【読書】なぜ駐妻は浪費してしまうのか

駐妻はアクティブだ。習い事や美容などの「THE☆駐妻」な活動はもちろん、安さを求めて市場に通ったり、期間限定のPOP UPイベントに足を運んでみたりする。

これらはすべて、お金を払う行為を伴う。ゆえに他者から見れば「くだらない浪費のために一生懸命になっている暇人」と見えてしまう。

では、なぜ、駐妻は浪費に一生懸命になってしまうのだろうか。




先日、おもしろい本を読んだ。

『居るのはつらいよ』という本で、京大出身のハカセである著者、東畑さんのエッセイ……ではなく、「めちゃくちゃ読みやすい学術書」だ。


舞台は精神科デイケア。一般社会では生きづらい人の「ただ、居る、だけ」を可能にする場所だ。

デイケアでのスタッフやメンバーさん(利用者)とのやり取りを通じて、ケアとセラピーの違いや、「ケア」に関して深く掘り下げていく。

「ただ、居る、だけ」というのは、かなり難しい。わたしたちは「居る」ができなくて、すぐに「する」を始めてしまう。

それはなぜか、というのを、他の本から下記のように引用している。


退屈においては時間がのろい。時間がぐずついている。[…]私たちは退屈しながら、ぐずつく時間によって引きとめられているのである。[…]引きとめられると、何もないところ、むなしい状態に放って置かれることになるからである。何もすることがない、むなしい状態に人間は耐えられない。

(國分功一郎『暇と退屈の倫理学』)


ああ、そうか。わたしたちは、「する」がしたくて、浪費してしまうんだ。




帯同先にもよるが、タイの場合は、帯同家族に発給されるビザは「家族ビザ」と呼ばれるものである。
このビザでは、就労することができない。また企業側も、駐在員の家族が現地で就労し、扶養から外れるケースを想定していない場合が多い。

よって、駐妻たちは働くことができない。わたしもそんな駐妻の一人だ。

現代の駐妻は、駐妻になる前は、日本で職を持っていた。そりゃそうだ、共働き世帯が専業主フ世帯を上回っているのだから。

そして、わたしたちは、女性もやりがいを持って働くよう求められてきた。そういう教育を受けたし、それが社会の要請でもあった。だから、一生懸命働いてきたんじゃないか。

急に「する」を奪われて、わたしたちのエネルギーは行き場を失った。エネルギーが有り余っているひとは「ただ、居る、だけ」ができない。

「する」がしたい、でも、「する」がない。

浪費は、お金さえ持っていれば「する」ことができる。何の資格も必要のない、素晴らしい行為だ。
だから駐妻は浪費する。いままで仕事に使っていたエネルギーを、買い物イベントに全力投球する。

どうしてそんな駐妻さんたちを、ばかになんてできようか。
わたしたちは「する」がしたいんだ。「する」をくれ。




わたしが日本を発つ前、ワンオペ育児に発狂しながら取得した資格に「キャリアコンサルタント」がある。

4月に合格していたが、なんせ在外邦人のため、手続きにやたら時間がかかり、未だ登録できていない。

でも、やっと、登録書類を日本に送る手前まで進んできた。長かった。

わたしは、「する」を提供する立場になりたい。しかも安価で、浪費するよりよっぽど自己肯定感が上がる「する」を。

わたしたちの良いところを再認識して、明日への希望を持てる内容を考えている。
まったく自信はないけれど、わたしの自信のなさより、やっぱり優先されるべきは「する」を求めている、支援が必要な方々だと思うから。

その想いを胸に、今日もノートに企画を書きなぐる。



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