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#033 余裕のある大人がかっこいい。【節約と節倹】

お金の使い方がスマートな大人はかっこいい。
スマートとはただ大盤振る舞いすることじゃない。
節約
節倹を履き違えないことが大切である。

節倹とは簡単に言うと節約しつつも気前よくあることだと思う。

あのとき、あの子にスタバをご馳走したらよかった。
かっこわるくて惨めな気持ちをここに書いてみる。

わたしは週末に10代の子と関わるボランティアをしている。若者の居場所作りと子ども食堂の延長のようなもの。

ある子とたまたま帰りが一緒になった。駅まで歩いたついでに本屋さんと買い物に付き合ってくれた。

帰りにスタバの新作の話になったのだけれど、スタバの新作に興味がない私はそのままスルーしてしまったのだ。

ひょっとして、あの時、スタバをご馳走していたら、かっこいい大人だったんじゃない?

かっこいい大人とは

子どもから見て、かっこいい大人とはなんだろう。
仕事ができるとか、優しいとか、物事の本質を捉えているとか、教養があるとか、道徳心があるとか、人徳があるとかいろいろあると思うけれど。

子どもから見たかっこいい大人って「余裕があること」ではないだろうか。

余裕がある人って人生を楽しんでいる感じかするし、余裕があるから子どもの話に耳を傾けられるわけで。

人生を楽しむためにはある程度のお金も必要。スタバくらいなんてことない。そんな大人がかっこいいよなあ。

節約と節倹のちがい

最近は節約に目覚めていて水筒女子であり、お弁当女子でもある。コンビニで買うちょっとしたお菓子もお茶も節約するようになっていた。

スタバって1杯500円するから、それならお家でコーヒーいれようかなって。
そんな延長で、ご馳走する思いには至らなかったのだ。

だがしかし、日本の伝説の億万長者である本多静六はこう言っている。

節倹とは出すべきものをちゃんと出し、義理人情も立派に尽くすが、ただ自分に対してだけは、足るを知り、分に安んじ、一切の無駄を排除して自己を抑制する生活を指すのである。

本多静六『私の財産告白』

つまり、わたしが節約するのは自由だけれど、義理人情に尽くすためにお金をかけなさいということだ。

(スタバをご馳走することが、義理人情を尽くすことなのかはわからないが。)

なりたくない大人になりたくない

彼女の目線からしたら、ださい大人だったかなあ。

彼女の保身のために言っておくが、決してスタバにいきたいと言われたわけではない。
彼女がなんて思ったかはわからない。

ただ、どうしてあそこでスマートにふるまえなかったのか、悔やんでも悔みきれないのだ。
1カ月も前のことだけれど、心にこびりついてはなれない。

たった500円のために(JKが好きなフラペチーノなら800円くらい?)自分の大切な何かをなくしてしまった気がしている。

気づいたら、余裕がない空気が読めない大人になってしまっていた。

そういう大人が嫌で10代の子と関わるボランティアを始めたはずだったのに。

まとめ

スタバはご馳走しよう。

自分はいくら節約しても良いけれど、義理人情にはお金を出そう。
お金をだししぶる大人はかっこ悪い。

全然本質をついていない、上辺だけの記事だったかもしれない。
けれど、吐き出せてちょっとすっきりした。

またいつか、彼女にご馳走できる機会がきますように。

おしまい。
ほんじゃ、またね〜!

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