障害者同士の諍いが一番見苦しいかもしれません

いまだに『スクールカースト』があるのかは知らないけれども、そもそも『スクールカースト』自体がなかった時代から、もちろん同じようなレベルが仲間になるし、いわゆる不良系ならば生意気だったり、授業妨害するのに体育祭とかは盛り上げたり、家庭環境が劣悪ならばいじめっ子気質とか色々ありましたし。

*朝井リョウさんによる『桐島、部活やめるってよ』を読むまでは、やっぱり『スクールカースト』って言葉は知らないながら、そのような雰囲気はバリバリありました。

本題は障害者同士の諍いである『障害者カースト』、これが一番面倒臭いですから、かりに巻き込まれなくても、それをツイッターとかSNSで見掛けたら、やっぱりモヤモヤしかしません。

*阿藤快さんの口癖である『なんだかなぁ』を言いたくなります。

ほとんどのかたは身体障害者になりたがるけれども、そもそも身体障害者のことを一ミリすら理解してません。

その言い分は、『身体障害者ならば見た目で分かるじゃんか!だから、配慮あるから羨ましい!』ですが、むしろ内部障害ばっかりだし、かりに眼鏡あれば視力矯正から見えるならば、その場合は言わない限りは眼鏡かけているから、いちいち騒がれません。

まあ、かりに盲導犬や白杖の身体障害者を上手く誘導するかたは、ほとんど居ませんし。

耳が聞こえない場合でも、口の動きからやり取りするか、手話でやり取りするか、筆談するか、それすら人それぞれだから、むしろ知識ないかたは臨機応変にはコミュニケーションは不可能でしょうね。

精神障害者ならば、たしかに社会復帰して働くかたは応援したいですが、いきなり傲慢なアドバイスを言ってくるかたも居ますし。

知的障害者でも療育手帳は水戸黄門の印籠ではないのに、『療育手帳あるかたはマシじゃんか!』とは?

療育手帳あるかただって、それが不本意ならば、『ほとんど問題ないから、その療育手帳がないんだよ!』になりますし。

ようするに、この障害者だから『○○が大変じゃん!』とか『○○は楽チンじゃん!』とかはありません。

それはバリバラを観れば一目瞭然だし、そもそも知的障害者でも療育手帳の判定が一番重くても、ちゃんと喜怒哀楽はあります。

それを否定するかたは植松聖死刑囚より思考回路が恐ろしいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?