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【うつ病】どん底からの復活


「抑うつ状態です」と医師から告げられてから約半年。
私がどん底から地上に顔を出すまでの一部始終。


―どん底生活のはじまり―

外に一歩も出たくない

休職したての頃は、「外に一歩も出たくない」の状態でした。
朝から晩まで、日光に当たらない毎日。いや、当たりたくなかった毎日。
外からの視線や光が怖いわけではなかったけれど、何もしたくないの極み状態だった私は、布団から1ミリも出られない日も多くありました。

貴重な外出は、2週間に1度の「通院日」のみ。
食欲もなかった私は、必要最低限の食糧のみ購入してそそくさと帰宅。
あんなに好きだったメイクもおしゃれも、面倒くさい。大好きで毎週作って食べていたカレーも食べたくない。お腹が空いているのかもわからない。

ただ、そんな状態でも、毎日朝はやってくる。
どんなに生きるのが嫌でも、目が覚めれば息をして体が暖かい自分がそこに居る。そんな毎日の繰り返しでした。


なんで生きているんだろう

「私って、なんで生きているんだろうね」
毎日そう自分に対して投げかけ、泣いて、泣き疲れて眠る。うつというものは、そうやって人の心を真っ黒に染めていくのです。気が付いた時には、どんなに戻ろうとしても戻れないのです。
心の健康だけでなく、目に見えて不健康にもなります。食べられない・眠れない・起きられないのだから。
今までの私の人生の中で、トップクラスに「死んだ顔」で暮らしていたと思います。青白い顔と目の下の濃いクマとともに。



―3歩進んで3歩下がる―

薬が浸みわたっていく感覚

処方されたたくさんの薬。もともと偏頭痛+花粉症なので、薬を毎日飲むことには抵抗はありませんでした。
ただ、依存性のある向精神薬を飲むということに抵抗がありました。
「まさか自分が」という状態です。まさか私が向精神薬を飲む時がやってくるなんて、想像したこともなかったのですから。

幸い、私は不安でパニックになることが少なかったので、頓服薬としての抗不安剤はありませんでした。
毎食前後の漢方薬と抗うつ薬数種類と胃薬。
少しだけ薬についての知識があるので、抗うつ薬がどんなものなのかも理解しています。依存性があることも、自己判断で止めることができないことも。
だからこそ、「これを飲めばもう戻れないんじゃないか」という味わったことのない恐怖と不安がありました。でも飲まないと治らない。こうして抗うつ薬を飲まなければいけないほど、私の心の健康が崩れている。でも飲んだら…の繰り返し。

抗うつ薬は基本的に効果を実感できるようになるまで約1~2週間だと言われています。「飲むしかない」と覚悟を決めて飲み始めてから約1週間。
段々と薬が私の体の中に浸みわたっていくような感覚がありました。
胃で溶けた薬が、血液の流れに乗って私の脳へ。


もしかしたら、と思っても

薬を飲み始めてから1ヶ月経つと、だんだんこの生活にも慣れてきて、少しずつ苦しみの中に隙間ができてきました。
「もしかしたら、これ、良くなってるんじゃ…」と期待してしまう瞬間も。
でも、それは一瞬で消えてなくなるのです。

期待する→悪化する→良くなってきてる?→悪化する……の永遠ループの始まりです。
ほとんど食べることができなかった食事が、久しぶりに食べることができたとき、「あぁ生きているんだ」と感じたとともに、このまま良くなるんじゃないかと考えていました。でも、それはとても甘すぎる考えでした。

文字通りの「3歩進んで3歩下がる」毎日でした。良くなったり悪化したりを1日の中で何度も繰り返す日もあれば、数日かけて良くなったと思っていても、ちょっとしたことで激しく悪化したり。
うつは、そんなに早く私のもとから去ってはくれませんでした。

私はもう、こんな毎日うんざりだ。こんなに苦しいのなら、もういっそのことこの世から私の存在を消してしまいたい。はじめから私という存在がなかったことになればいい。私の中の記憶も、みんなの中の私も、私が生きていたという事実も、全部まるごと消えてなくなればいい。
消えることができないのなら、せめて、もう少し希望を抱かせてほしい。
なのになぜ。なぜ。おまえはこんなにも私の足を引っ張るんだ。

毎日、毎分、毎秒。私の中にはずっとこの想いが消えなかった。



―反撃の狼煙―

退職をきっかけに

休職期間を経て、退職することになったことをきっかけに、1ミリも見えてなかった希望が、少しずつ、本当に少しずつ見えてくるようになった気がします。
きっと、会社への罪悪感や不信感などから解放されたように感じたのかもしれません。もう「申し訳ない」と罪悪感に支配されることも、不信感から来る怒りを感じることもない。そうか、私は自由だ。

そう感じたことを皮切りに、頭の中にだんだんとやりたいこと・好きなことがぼんやりと見えてくることが増えてきました。
この頃からやっと、「うつの自分」を受け入れようと、自分と向き合うことを始める決心が固まってきました。


自分を見つめなおす

なぜうつ病を発症したのか、何が怖かったのか、何が嫌だったのか。
まずはノートに書き出してみました。でもスラスラと書けたわけではありません。今まで蓋をしてカギをかけて隠してきたモノを、こじ開ける作業になる。それは思った以上に苦しいことでもありました。
でも今、ここで向き合わなければいけない。私が受け止めなければ、誰が今の私を受け止めてくれる?

何度も何度も泣きながら、苦しみながら向き合う時間を取りました。
1日にたった1分でもいい。どんなに小さなことでもいいから、思いついたことを書き出して残していくことにしました。
そしてまずは私が私に起きている変化を理解しよう、と。たとえ受け止められなくても、信じられなくてもいい。
たくさんの時間をかけて、ノートに書いた自分の心の中身。ふと見返してみた時、自分のこれからのこと・本当の自分の思いを見つけました。
「…これだ。私はきっとこうやって生きたいんだ。」
じゃあその生き方をするために、何から始めたらいいんだろう。今の私が持っているモノとこれから必要なモノは何だろう。

3歩進んで3歩下がる毎日から、3歩進んで2.5歩下がる毎日へ。
そうして少しずつ、本当に少しずつ。亀の歩みよりもゆっくりの速度で、前へと進み始めました。


地下5階から地上をめざして

休職したての頃=どん底の時期が地下5階くらいの深さだとしたら、現在は地上に出るための扉のカギを、あれでもない・これでもないと色々と試している状態だと思います。まだ、地上には出れていません。地上に出て、太陽の下で息ができるようになるための準備中です。

でも、ここまで回復できた。また働きたいと思えた。
そして、うつ病で苦しんでいるこの日々を忘れたくないと思えるようになった。これはもう「反撃の狼煙」の合図だと思います。

反撃。何に?
復職できずに退職せざるを得なかった会社に?うつに対して理解がまだ低い社会に?悪化したきっかけになったあの一言に?

いいえ。ちがいます。
「消えたいと苦しみ、自分を消そうとした自分」への反撃、と思っています。
そりゃ…退職した会社に対してぎゃふんと言わせてやりたい気持ちがないと言えばウソになります(ん?笑)
でも、それよりも先にあの頃の自分に対して「ざまぁみろ」と言いたいんです。「諦めなかったらここまで回復できるんだぞ、見たか」と。
こんな文字だけでは伝えきれないほど、たくさんたくさん苦しみ、もがき、悩んで泣いての日々でした。

でも完全復活とまではいかないまでも、こんなことをここで書けるほどまでに症状も良くなったことは、まぎれもない事実です。
会社に行けなくなったあの頃から考えてみれば、思ってもみなかったことです。こんなことになるなんて。いい意味で。



再発の可能性・不安

もちろん、良い事ばかりではないのが「うつ病」の厄介なところ。
いつだって再発の可能性は秘めているのです。しかも、なにがトリガーになるのかは、はっきりとした原因が突き止められていない以上、私自身でさえも予想ができません。
再発するかもしれない、また地下に突き落とされるかもしれない。
もうあんなに苦しむのは絶対に嫌だ。

それでも私は、地上に出て、また希望を抱いて生きていきたいのです。
「もし再発でもしちゃったら…」はしばらく考えないことにしました。もう足を引っ張られるのは嫌なので。

また後ろ向きになるときが来ると思います。基本的にネガティブが強い性格でもあるので。でも、必要以上に怖がる必要はないのかと。
ここまで回復できた実績に対して、少しでも胸を張ってもいい、と自分を褒めてあげたいと思います。



今の私を忘れないためにも、こうして文字で残しておこうと思い、この記事を書きました。もし後ろ向きになってしまったときにも、自分の背中を叩く意味でも見返せるように。
そして何より、同じ状況である人に、少しでも何かが届けばいいなと思います。たとえ届かなくても、少しでもなにかのきっかけになれたら幸いです。

2023.01.31


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