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5.14 80億の中の出会い


人生いきてると本当いろいろある。

いじめや嫌がらせ、人を蹴落としても自分の評価を頑なに守る人。

私もここに書き切れないくらいたくさんあった。

高校生時代から何もしていないのに「生意気だ」と因縁つけられて胸ぐら掴まれたり、

看護学生時代も実習指導者さんの執拗な問い詰め。

働くようになってからも「妬み」で言葉の暴力を受けたりした。

今だって普通にある。

みんな自分が可愛いから仕方ないけれどね。

自分をしっかり愛する、と自分だけが可愛くて保身になるのは意味が違う。

過去の私は「負けず嫌い」だったので、それらと対峙した。

でもね、ある時気づいた。

嫌がらせや人を強く責める人も何かを守るための言動なんだってことに気づいた。

ただその手段を知らないから結果的に人を傷つける。


それを知ったとき「私がいじめたり、問い詰める側じゃなくて良かった」と心底思った。

知らないことほど恐ろしいことはない。

いつか気づくときがくるかもしれないし、このままあの世まで課題を持ち越していく人もいると思う。

それはその人の課題だから踏み込まない。

ただ、私が感じたことだけは伝えるようにしている。

感じたことを黙っておくのは罪だと感じるから。

私はこう感じた、っていうアイメッセージを意識して伝える。

目が外を向いているように人のことはよく見える。

良きところも悪きところも。

だけど、「意地悪な人」や「問い詰める人」と出会ってしまったには少なからず意味があると私は思っている。

80億いる今生きてる人の中で「ご縁」があるということの意味。

もしかしたら自分の中にも似たような部分があるのかもしれない、、とか。

人に危害は与えないけれど、同じように「自分責め」をしているとか、、。

出会う人はみな映し鏡だから、何かを教えてくれているのだと思う。

人との出会いを通して、良きところは敬ったり見習う。悪きところは我が身を振り返って襟を正す。

こんな日々の繰り返しの中で、人は相手の気持ちを考えたり、寄り添ってみたりできる。

人なくしては人として生きていけないとさえ思う。

人が生きる目的って、究極「愛を知るため」だと強く信じている。

いじめや嫌がらせの経験も無駄じゃなく、人に同じ痛みを与えたくないって私の心に刻まれた。

喜怒哀楽たくさん味わってこそ、生きてる醍醐味だなと最近よく思う。

まだ生きたかった命を見送ってきた者の使命としてまずは身近な看護学生さんや同僚に伝えていきたい。

#看護学校教員
#助産師コーチ

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