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私の今の気持ち、想い

出会いってすごい。
1時間で人生が変わったりするからすごい。

胸がいっぱい。
忘れてた感性を思い出した。

肩の荷物を降ろして、
マイナスイオンを感じながら深呼吸する。

あ~わたしって、星好きなんだった。
あ~わたしって、自然の音めっちゃすきだわ。

折ってしまっていたアンテナが、ちょっと復活して

下のほうで眠ってた声がまた顔を出した。


今日は私がそもそも生きている意味とか、

闇の中にいた時期の話とか思い出した。

てか、遺族支援したいと公に言いだしてから、思い出す機会は増えたかもしれない。また、その経験を人に言う機会が増えた気がする。


私には消えたくなっていた時期があって、それは時間が解決した。

何年もの月日が経っての回復だったけれど、結局そのときからずっと生きる意味を探し続けていて、最近やっと見つかったような気がしている。

けどこれも確信的なものではなくて、更新しつづけられるもの。


「根底的にはいつ消えてもいいと思っている」という希死念慮があること。


今はそれほど思っていないけど、その感情を忘れているだけかも。

けど、なんとなく希死念慮持っている人の気持ちもわかる気がするんだ。


別に生きることは正義だとは思わないけれど。

正義とかないけれど。

今生きているなら、死ぬ理由もないなら、

どうせ生きるなら楽しく生きたくない?


そして、生きる意味を自分なりに定義して、自分の「すき」「やりたい」で生きて、そこに向かって試行錯誤していく人生って楽しそうじゃない?


んー、これは自分のエゴ。

私がもっておきたい、エゴの部分。


おしつけるつもりもないけれど、私は、消えそうな人が「生きるのもいいかもなー」と思って、「どうせ生きるなら楽しく生きたいなー」と思って、「楽しく生きるなら○○したりしたいなー」と夢を持ってくれたらめっちゃいいなあと思う。


消えそうになる理由が家庭環境の不和や何かの欠如だとしたらなおさら関わりたい。


結局、昔の自分を他人を通して救いたいだけだと思う。

私の生きる意味はそこにあると思っている。

実質昔の自分は、今までの行動によって救われているんだけれど。

どうしても、鬱の時の自分って、自分の人生の中で、おいていかれているような感じなんだよね。自分でも救いきれなかったから、その過去に置いてきた感じ。切り離してきた感じ。

今でも、その時の感情を思い出そうと思えば思い出せるけど、もう大分難しいなあ。

それはいいんだけど、私が鬱だったとき、「こういう配慮やサポートがあればもっと回復が早かったかもしれない」だとか思うことはたくさんあって。


そして、昔の私のように、孤独感を感じて独り悲しんだり苦しんだりを抱えている子どもって少なくないと思う。

対話できる大人が、そんな子供のそばにいて、継続的に話す機会を設けていたらめっちゃいいなあと思っている。


わたしは、昔の自分を救うということにとどまらず、自分の生きる意味を探すということにとどまらず、今にも消えそうな人達が救われるような機会提供をできる生産者でありたい。


選択肢を必要な時にターゲットに提示できる存在でありたい。

選ぶかどうかはターゲット次第なんだけど、資産カードを何枚持ってるかで、その後の展開は大きく変わるし、第一、その子が私に信頼を置いてくれているなら、あと足りないのは私の機会提供力(資産カード)なんだよな。

私である必要がなかったとしても、私が提案できたとしたら、その子にとって、次の機会を探すよりも、より早く機会を手に入れることになる。

早く、継続的なサポートを提供したい。

それが今の私の想い。