直視したら目がつぶれるぐらいのさみしさ。

昨日、文章を書いていて、『そうだ、母のこと、わけもわからぬまま、めちゃくちゃに憎み続けてきたけれど、結局、わたしは彼女に、自分という存在をどうしても受け止めてほしくて、でもそれが何回やっても満たされなくて、怒り傷ついていたのだなあ』と自覚した。

わたしが渇望していたのは、存在への承認。許しだった。それを得るためだったら、何だってした。がんばって、尽くし与えたら、母はいつかわたしを心から受け入れて、母の温かな世界に迎え入れてくれると信じていた。これまで、母を疑ったことは一度もなかった。わたしは、母を、温かい母性をもった人間だと決めつけていた。そんな母に認めてもらえないのは、わたしのがんばりがヌルいからだ。もっと、もっとやれるはず。がんばらないわたしがダメなんだ。視界いっぱいに、大きすぎる渇望が膨らんで、現実を遠くに押しやる。信仰の首輪はますます強固になって、わたしの首を締め続けた。

わたしは、ちゃんと、現実を見ればいいのだと思う。
母の“愛を受け取るための器”は、ザルになっていた。彼女はわたしの捨て身の愛を受け取ることはなかった。母は、わたしで満たされることはなかったのだ。皮肉だな。そのための子供だったのに。わたしは失敗作だ。そのことに、自分でも信じられないぐらい、わたしは傷ついている。だって、存在の根本なのだ。彼女はわたしを愛していなかった。冷たい母親だった。受け入れてほしいとすがってくる子供に内心苛立ち、拒絶していた。顔で笑いながら。体裁のいい言葉をかけながら。悪魔なのかよ。さみしい。根っこが空っぽだ。誰からも愛されてなかった。わたしは愛したのにな。ぜんぶナシになるほど。

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