これ以上、わたしの体を使われてたまるかていう
自立したいなと思ってる。わたしの自立というのは、昼間はどっか会社でふつうに(できるだけ体にとってラクなところで)働いて、夜はブログを書くこと。それで一人暮らしできたら役満だ。最の高。
父親の役割(外で働く)と、母親の役割(自分の話を聞く)、両方を自分にしてあげるということ。
わたしは基本、人の話をあんまり聞けていない。聞けないということに最近気づいた。前は、めちゃめちゃ聞けているんだと勘違いしていた。
そもそも、はっきり言って、わたしは自分の中に、空白部分が多い。自分でどう感じているか、あんまりわからない。自分で書いたブログを読み返したとき、嫌悪とかよりも前に、拒否感か、すこ〜〜〜〜んという感じがある。この、麻痺してて、魂抜き取られてる感じね。
↑母に入り込まれるの図
でも、引きこもり続けて最近やっと、“体が自分のものである”という感覚がわかってきた。意志を持つことを自分に許可できるようになれたことが大きいように思う。
よっぽど、絶望していたんだな。
何も望まないということは、生きることを放棄することと同じだ。
だけどもうわたしは大人だから、自分の体を動かして、ほしいものを自分に与えることができる。
自分自身の体を、自分の意志で動かせるって、本当に、奇跡のようだと思う。
わたしの頭で思ったことを、わたしのこころがキャッチして、GO出して、自分の手足を動かして、経験値を獲得して、自分の体や心に、「どうぞ♡」って与えてあげられる!図にすると、こう。
いままで、母と同じ膜の中に入っていたわたしは、ずっとこういう↓世界のなかにいた。
母の言ったことを、わたしの手足が実行したり、その逆もあったり、どっちがどっちだか、境界線だって曖昧で、わたしは、全然、生きてる感じがしなかった。経験値は、たぶん、いつも、母に送られていたんじゃないか説。
だけど、母自体にも実態がなくて、何一つ、お互いのためにならなかった。
うん、これを共依存っていうんだね。
わたし、「もう自分の体を、ぜったいに、誰のためにも使いたくない!」っていう、すごく強い抵抗(ブロック)を感じていて。(社会のために使ってたまるかよ!って。)
両腕を、ガッチリと組んで、座り込んでいる子供のイメージだ。
母との体の境界線が、あまり分からないままで、でも自分は尽くしてきて、ものすごく疲弊しきっていて、ニートでいることが唯一、自分を守るための手段になっているのだと思うのだ。
自分の体を、さも自分の手足かのように、勝手に使われるって、すっごく、不快なことなんだ。体に割り込まれるって、とても嫌なことなんだ。なのに、なんで母娘だったら、やっていいのだろう。
完全に余談になのだけど、高校生のとき、英語の授業で、単語当てクイズをして。(単語のアルファベットを答えるやつで、回答者が間違えたら絵に書いた棒人間が首吊りしていくいやつw)
1列ごとのチームになっていたんだけど、なかなか難解で、わたしの番が回ってきたから、わたしは、「う〜〜ん、、」って考えていた。今まで出たことのない、意外な単語だぞって。qとか、xとかかな、とかね。
そしたら、後ろの席の、図々しい女の子が、「○○(わたし)さん、w!(って答えろ)!」とか言ってきてね。
困ってるから助けてあげようとかじゃ、ないのね多分。完全にナメているの。ゴリゴリに尊厳を折りにきたよね。そんなの、自分の時間に回答しろよ、ブス!と思いながら、「いや、わたしは!考えているだけなのです!自分の意見があるのです!」と言うことができず、弱々しい笑みを浮かべたまま、「………じゃぁ、w」って小声で答えて、帰って泣いたよね。泣いてはないけど、怒りで、どうしようもなかった。悲しかったし。
いつも、わたしが怒りを感じるのは、こういうパターンで、“自分が自分を守ってやれなかったとき”に、“自分への怒り”として、強烈なストレスとなって現れるんだなぁってわかった。そして、原因は、あの弱々しい(と思っていた)母親なんだなぁということも。母は、大人のわたしには、依存心から、弱々しく見せているけれど、子供のわたしにとっては、凶暴なメスゴリラというか、鬼女だったのだと思う。そのへんの記憶や感覚もあまりないから、ほんと卑怯だなと思うんだ。
話を戻すけど、わたしは、自分の体を使って、エネルギーを回して、仕事したいなって思う。回復していきたい。もともと、めちゃくちゃ頑張ってきたんだから、抵抗感さえ乗り越えられれば、そして環境さえ整えられれば、普通に仕事できるんじゃないかなって思うんだ。わたしは、とても、よくがんばってきたよね。もう一生、苦しまなくていいよね。健康になりたいね。
(たぶんこれ、1ヶ月前に書いたものです。今更アップ。)
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