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11月24日(水)#日記 007 ノー・タイム・トゥー・ダイを見た。

先週の土曜日に、ダニエル・クレイグ版ボンド最終作であるノー・タイム・トゥー・ダイを見た。

以下ネタバレになってしまうかもしれませんので、お気になさる方はご留意ください。

さて、そもそも私は007シリーズをあまり見てきていない。まあ、大人が見るもの、という理解であったからだ。

だがある日、たぶん2006年の作品であったか、カジノ・ロワイヤルをTVで見たのだ。

いや、ぶっとんだ。

こ、これは。。。


すごい。

「こりゃこれから見ていかないかんなあ・・・。」

とつぶやいていた。

まあ、なんというか、素晴らしい映像、すばらしいストーリー、そして素晴らしい俳優。

従来の007ファンには、あまりに方向転換が激しすぎて、「これは007ではない」という感覚もあるようだ。実はアマゾンプライムで007が無料視聴(まあアマゾンプライム会員料金は払っていますが)できるので、歴代ボンド作品を最低1作は見たところだ。結論、みんなそれぞれ、素晴らしい。

まあ、ダニエルボンドで007が好きになったので、ダニエルを基準に見るわけだが、その違いがまた、面白いのだ。

同じ設定の人物を、別の俳優が、時に性別を超えて演じている。

たとえばM。ピアーズ・ブロスナン版のゴールデンアイから出演している女優のジョディ・デンチ(Judi Dench)。ふたつのシリーズを知っているからか、ピアーズ版とダニエル版の肌合いの違いも感じているようで、洒脱でユーモア感覚のあるピアーズ版がより「気楽」だったのだろう。ダニエル版では芝居としてもダニエルに深くからむ役であり、シリアスな立場でもあったので気が抜けなかったのではないか。ダニエル版を見てからピアーズ版を見たわけだが、デンチが同じ人であるがゆえに、シリーズとしてつながっている、というパラレルワールド感にて心地よくピアーズ版に入り込めた(普通とは逆だろうが)。

ユーモアと余裕を全面に出していた(ティモシー・ダルトン版では一部シリアス寄りとの情報があるが未視聴)旧作群に比べ、とにかく新人ダブルオーとして走り出したダニエルボンドは、やはり一直線に仕事に邁進する、という表現がしっくりくる。そして見ているこちらも同じく自分が新人ダブルオー(殺人許可所持)である感覚となるのだ。

冒頭での爆弾魔とのアクションにまずは度肝を抜かれた。ちょっと高所恐怖症気味(ジェットコースターは苦手)な私であるが、既に心は新人ダブルオーのダニエルと同化している。工事現場で命綱なく高所から高所へ飛び移る。そして思ったのは、逃げる黒人爆弾魔のすばらしい身のこなし。まさにばねの塊のような逃げっぷりだ。この躍動感を一瞥するだけで、私であれば諦めてしまう。

多分多くの人がそう思うのだろう。だが、ダニエルはとことん諦めずに追いかける。その走りっぷりが素晴らしすぎる。ほとんど初めてのヤマであろう、失敗しないように、という思いも秘めてはいるのだろう、だがそれを押し殺し、とことん冷静に、自身で判断を下す。その判断は、国対国でぎりぎりのところを突いている。だが、上司であるデンチは、その判断が、あるいはその判断にも、理がある、と認めざるを得ない。

初ボンドであれば、ダニエルもとことん鍛えたであろう。カジノ・ロワイヤルへポロシャツ姿で入ってゆくダニエルの後ろ姿の肩の筋肉を見て、これは相当鍛えとるぞ、と思ったものだ。

さて、ノータイム・トゥー・ダイの予習のつもりで、前日にカジノロワイヤルを見た興奮で、そのことばかり書いてしまった。もちろん途中の作品も見てはいるのだが、なにしろ5作で2006年から2021年、15年の年月が経っている。ストーリーを、忘れてしまっているのだ。

これはいわゆる「ファイブスター物語」現象であろう。途中で間が空きすぎて、ストーリーをよく覚えていない。あちらは1986年開始なので、35年経過しているが。。

肝心のノータイム・トゥー・ダイに関することは、また次回以降にて。。

(相変わらずダニエルは渋かった、ということだけは、とりあえず言っておきます)










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