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日記11月19日。 #日記

毎週火曜日は、プロフィールにあるとおり銅版画教室に(行ける時は)通っている。

銅版画、というものはあまり皆さんお聞きになったことがないかもしれないが、例えばルイス・キャロルの2大作、不思議の国のアリス、鏡の国のアリスをご存じであれば、当時の有名挿絵画家のテニスンによる挿絵を思い浮かべることができる方もいるかもしれない(もっともかの作品は様々な画家が挿絵を描いており、例えばアーサー・ラッカム、ムーミンのトーベ・ヤンソンといった有名どころや、日本では金子國義のアリスが、新潮社文庫、矢川澄夫訳で見ることができる)が、あれが分かりやすい銅版画の例である。

美術の教科書でごらんになったであろう、デューラーのメランコリアなども有名な例である。

さて、なぜこうしたマイナーな技法をやろうとしたか、ということであるが、こちらの銅版画、とにかく細かい線が描ける。腐食を伴うエッチングも細かいが、直接銅板をけずってゆくエングレーヴィングであれば、たぶん最も微細で、最も黒色が深い(個人的意見です)絵が描けると思っている。

また、書籍が個人の所有であることを示す蔵書票(EXLIBRIS)というものがあるが、特に欧州では銅版画を使った蔵書票の歴史がある。そも個人の所有であることを示すためのものであるが、有名な銅版画家に、自らの名前と場合によっては希望する図柄を頼んで、基本的には個人のものとしての画像を得ることができる。これはなかなかときめく趣味ではないだろうか。のち本来の所有書籍に貼る、という用途を離れ、小さな宝石のような小版画として同好の士の間で交換したり、個別版画として販売されたりしている。これは版画というものが芸術的作品でありつつ、刷りの技術含め愛でる部分もある複製品である、という面も影響している。通常のアートは1点ものであるが、論理的に版があれば何度でも複製可能であるのだから(ただ、希少性を保つためにEDITIONを付け、印刷枚数を限定したり、正式に刷ったものと例えば作家保管用、というかたちで分けたりする)。

ということで、楽しく版画制作を行っているわけであるが、なぜわざわざ教室へ行くのか。これは腐食を伴う作業、および刷り機が必要となるからだ。もちろん自宅に揃えれば作業は可能だが、私は現在自宅にはそうした機能をそろえていないのだ。もちろん先生からのご指導が必要である、というのが一番だが。

日記的に言えば、今週は残念ながら会社での会議が長引き、教室に行くことはできなかった。時間と気力があれば例えば勉強と同じでどこでも作業はできる、と頭では思うのだが、やはり場を設定することは必要だ。作家がなぜかファミレスで執筆している、というあれですね。なので家にいるとなかなか作業のスイッチが入らない。絵を描く人に聞くと、毎日、少しずつでも描くことが重要であるという。とりあえず、ひと彫り、が重要なのだが。

(なにごとも、最初の1歩、が大変ですね)




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