見出し画像

10月27日 挿絵画家の系譜。エドマンド・デュラックと高畠華宵。


今朝の体重64.9kg、体脂肪9.1%。

昨日は、玄米を2合炊いて、食べてみたが、ペロッと食べきってしまった。
660gあるはずだが、まだ結構食べられる。

カレーを作ろうと思ったが、味噌汁と鯖缶で食べてしまった。

すき家で裏メニューがあり、これが白米2合に肉が載っているということだ。1280円するが、言えば作ってくれるようだ。

食べたいものだ、と思ったが、いやまてよ、先ずは自分で2合の米がどんなものかを確認しようとおもったのと、自炊であれば1280円どころか数十円レベルでできるのではないか、と思いついて、早速帰って炊飯したわけだ。

空腹であれば、カレールーがなくとも簡単に2合食べてしまった。金も使わなかった(原料費以外)ので、気分も軽やか(笑)。

そしてなんとなく”カネがないと満腹まで食べられない”という意識しない心理ブロックがあったことに気づいた。考えたらそうでないことはめちゃくちゃ当たり前なのだが、なぜかそう思い込んで、金がない、と落ち込んでもいたのである。

そこに気づけたのは、大変よかった。


さて、昨日は仕事で比較的ヘビーなトラブルがあり、ストレスがかかったのだが、そういう時こそのトレーニングである。

ストレスを力に、重量物に挑むのだ。

この夏若干のトレーニングスランプという気がしていたのだが、昨日は集中できて、手ごたえもあった気がしている。

トレセンが空いていたので、1時間40分で退館、その後自転車で図書館に本を返しにいった。

結構温かく、最近購入した豊天商店”竜馬Tシャツ=高知土産(笑)”を恥ずかし気もなく着ていったが、半そでで問題なかった。

今の時期だけだろうが、気持よく歩いたり、自転車に乗れることはストレス解消になる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


エドマンド・デュラック(Edmund Dulac、1882年 10月22日 - 1953年5月25日)、高畠 華宵 (たかばたけ かしょう、 1888年 4月6日 - 1966年 7月31日 )。南フランスで生まれ、イギリスのラファエル前派やビアズレー等にあこがれ、イギリス風に改名までしてロンドンで活躍したデュラックと、裕福な商店の次男であったが、幼少期よりインドアが好きで絵を好んだ華宵。

日英(活躍場所)で特に接点はないのであるが、似たような時期に挿絵という文化(未だ写真技術やプリントの関係で、イラストがいまだ雑誌や書籍の主流であったある意味挿絵画家にとっては幸福の時代)を大きく担い、大衆に大変な人気を博しながら、デュラックの場合は2回の世界大戦、華宵の場合も第二次世界大戦、という時代に遭遇、戦後はやはり両者の華麗で緩やかな画風が困窮する世相にマッチしきらず、晩年まで挿絵で押し通せなかった、という点は共通する部分がある。

そう、なによりも私が個人的に両者を並べてこの稿を書きたいと思ったのは、端的に両者の絵に流れる雰囲気が好きだからだ。


デュラックの華麗で芳醇な線は、この本の表紙だけからでも十分に堪能できる。




若き華宵の知名度があがるきっかけとなった中将湯の宣伝絵から


理由はいらない、これは好きか嫌いか、に分かれるし、例えば文章や絵や絵本を好む方々の一定数には必ずささる要素がある絵だと思っている。

ささってきたから、100年以上過ぎた今の時代にもこうして本や美術館(弥生美術館)で回顧され、新しいファン(私のような)をじわじわと生み出し続けているのだ。

また両者の共通点は、世に出た時点で画風に魅力が既にあふれ完成していたことも挙げられよう。あるいは若いが故の魅力なのかもしれないが、両者とも好きで仕方がない世界を好きなように描いている、という熱量を感じるのだ。それでいて華麗。

私はまず高校生くらいのときにデュラックの絵を荒俣宏さんの紹介で知った。ひとめ見て、大好き画家に認定した。
華宵の場合はもう少しあとだろうが、アンドロギュノスな雰囲気が忘れられず、弥生美術館へも見学に行った。

今回図書館で2011刊刊大全 第19巻、リボンの騎士 上巻 でした。

両書ともなつかしーーー!)

いいなと思ったら応援しよう!

豆象屋
お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。