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とあるヲタクの会議録~感想のススメ~

これは、とある社会人のヲタクのヲタクによるヲタクのための会議の一幕である。なお、この会議録はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係がないことに注意されたい。


議長
「さて、ここからはついに禁断とも言うべきテーマに踏み込みたいと思う。前々からずっと語りたかったことではあるが、こうやって言葉にすること自体余計なことなのではないかとの思いは常にあったのでな…。まあ、つまるところ『我はアニメの感想をこういう思いで書いている』というのを一度きちんとした形で言葉にしたかったということであるな」

団員A
「『禁断』とか『余計なこと』って言うからには、議長もこうして言葉にすることそのものに何らかのリスクを感じているってことですよね?」

議長
「具体的な内容に入る前にまずそこからであるな。まず大前提として述べておかなくてはいけないのは、概ね皆の予想どおりだとは思うがここからは『感想を書くこと』を肯定的に述べていくつもりであるということである。しかし、何かを強要する意図は全くないと思ってほしい。あくまでも、私見を述べたいだけなのでな。それでは、しばし時間を頂戴したい」

議長
「さて、まずは感想を書くことの意義からであるな。視聴したアニメの感想を書くことに消極的な者の意見として一番ありそうなのは、わざわざ文章にするのはめんどくさいし気軽にトークしていれば十分、というものだ。もちろん、気心の知れた仲間とトークで盛り上がるのはとても有意義な時間であるし、我も大いに好むところであるのは否定しない」

団員B
「実際、アニメ関連の会合自体そういう趣旨ですからね」

議長
「だが、ホントにそれだけでいいのか?というところをここでは主張したい。社会人という立場であれば職場で過ごす時間も長いし、プライベートのイベントやらなんやらもあるだろうから、自分のためだけに自由に使える時間というのはとても限られている。その限られた貴重な時間をせっかくアニメの視聴に注いだにもかかわらず、それをアウトプットする機会が刹那的なものにしかないのはもったいなさすぎると我は思っている」

団員A
「つまり、『時間がないから感想が書けない』じゃなくて『時間が限られているからこそ感想を書きたい』っていう発想ってことですね」

議長
「うむ、トークを刹那的と表現したことでもう察しがついているかもしれないが、感想は一度書いてしまえばいつまでも残るもので、言うなれば恒久的なものだ。読むこと自体は相手がいなくてもできるから、ちょっとした時間の隙間も有効活用できる。これは忙しい社会人にとってはとてもありがたいことである」

団員B
「たしかにそこは文章に残すことならではの利点ですね」

議長
「文章にするという利点は他にも多いのであるな。これは我の性分もあるのだろうが、その場のノリと勢いが重要なトークと違って、文章というのは個人の時間が許す限り好きなだけ言葉を練ることができる。つまり、感想そのものの質を純粋に上げることが可能なのだ。自分からこのような言葉や表現が出てくるとはと思えた瞬間はとても充実感があるし、自信にも繋がる。あと、我は過去の感想を読み返すことも多いのだが、他の者の感想の場合も含めて当時の思いがよみがえって楽しいし、読むたびに新しい発見があったりもする。人間っていうのは忘れる生き物だから、形として残すというのはやっぱり重要なのであるな」

団員A
「過去のトークの内容を詳細に覚えていることはまれでしょうし、そもそもあまり思い返したりもしないですもんね。何回も読み直せるという意味では、むしろトークよりもかけた時間に対するコストパフォーマンスが優れているという見方もできるのかもしれませんね」
 
議長
「その結論に行きついてくれたのならもう何も言うことはない。もっと言うなら、感想を書くことを意識することで自然とより集中力を持って作品に向き合うことになるというのはあるな。ボーっとただ見るのと、どんな風に感想を書こうかと意識しながら見るのではやはり全く違う。まあ、我も同じ映画を2回目に鑑賞するときなどは『今回は感想を意識しないでいいから気楽に見られる』とか思ってしまったりもするので、良し悪しではあるのだが。あと、我は普段の視聴時から感想に使えそうなネタが見つかったらすぐにメモをとるようにしている。いざ書く段階になったら全く使わないことも多いのだがな…」

団員B
「たしかに感想を書くのがしんどいから見るのをやめておこうってなっちゃうのもなんか違う気がしますしね。でも、意識せずとも作品から見えない力みたいなものを感じ取る能力はやっぱり子供には敵いませんから、大人になるにつれて作品に向き合う姿勢がどんどん理屈っぽくなっていくのはある意味自然な流れのような気もします」

議長
「そうであるな。ただ、文章として残すという行為は気力体力的なハードルがトークとは比べ物にならないぐらい高いのは事実であるし、我もなかなか言葉が出てこない時はけっこう苦しいものだ。そうした時間も含めて『感想を書く』という行為を楽しめないのならその者にとっては苦痛でしかないだろうし、読書感想文を書くみたいなものと考えれば好き好んで書こうという者がそうそういないのは理解できる。まあ、我の場合は学生時代の読書感想文が特別得意でも好きでもなかったから、アニメの感想を書く行為とは似て非なるものだとは思うところではあるが」

団員A
「読書感想文は高校生になって初めて書かせるぐらいが適当な難しいものっていう意見もありますし、そう考えると気軽にできることではないのかもしれませんね。議長がそれとは別物と思っているように、好きなものについてならまた違ってくるんでしょうけど」

議長
「好きなものについてだからというのも当然あるが、『我の感想を読んでほしい』という欲求も大きいのかもしれないな。これは、次に述べたいことにも繋がることなのであるが…」

団員B
「なんとなく察しはつきますね」

議長
「うむ、やはり読んでくれたからにはなんらかのリアクションが欲しいということであるな。そういったものをもらえるのは本当に励みになるし、ものすごく嬉しいものだ。これは、一度でも感想を書いたことがある者なら分かってもらえるのではと思うであるな」

団員A
「創作活動において、読み手のリアクションって書き手のモチベーションに大きく影響しますからね。具体的な感想じゃなくても、『いいね!』のような反応がもらえるだけでもすごく嬉しいですよね」

議長
「メタ的になってしまうが念のため述べておくと、この言葉に何かを強要する意図は全くない。ただ、書き手としてはそういう気持ちもあるのだということを心の片隅にでも置いて覚えておいてくれたらというのはまぎれもない本音ではあるが…。これは、世の中の全ての書き手に共通する一般認識として受け取ってほしい」

団員B
「まあ、その部分を完全に否定するのは難しいですよね。こうやって言葉にしていること自体がまさしくっていうのも、そのとおりですから」

議長
「それを言われると心苦しくはあるが…笑 ここからはさらに持論が深まるのだが、我は感想が書けなくなった時がアニメを見るのをやめる時だと思っている。アニメを見るのは至福の時間であるしもはや生活の一部と言っても差し支えないが、その一方で『いい年した大人が…』という気持ちもやっぱりあるのでな。やはり、社会人として働くような年齢になった大人が余暇における情熱のほとんどをそれに費やしてしまうような向き合い方は真っ当とは言えないだろう。そういう意味で、こういう選択をしている以上はそれ相応の覚悟がなくてはいけないということで感想を書いているのであり、もっと言うならその程度の情熱もないのにこれだけの時間を費やす意味はあるのかということであるな。やはり、トークで盛り上がってそれで終わりというのではそうしたリスクに見合う成果とは言えないのではなかろうか。もちろん、感想を書くこと自体は楽しいしやりがいも感じてきたからここまで続けてこられたのであるし、それが一番の理由なのは確かではあるのだがな」

団員A
「なかなか攻めた意見ですね。というより、それだけ自分を追い込んでしまっているとも言えるかもしれませんが…」

議長
「そうであるかもな笑 でも、これが『我はアニメの感想をこういう思いで書いている』ということのあるがままの姿なのでな。まあ、我の場合はこうだというだけでスタンスは人それぞれであるから、各々のスタンスでこれからもアニメに付き合っていってもらえればよいと思うぞ」


《以後も会議は続く…》


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