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オタク文化における「女子スポーツ作品」の立ち位置とその独自の魅力について語ってみた

以前の記事において、オタク文化における「女性キャラ」の絶対的優位性について語らせていただいたが、その中で「スポーツ系作品」に関しては例外的に男性キャラに優位性が見られるとして、その限りではないとも語らせていただいたところである。

しかし、こと近年においては、例えば直近の2023冬アニメで放送されていた柔道女子の眩しい青春を描いた『もういっぽん!』が世間でも高い評価を得ていたように、「女子スポーツ作品」の中にも、男子スポーツ作品に負けず劣らずの人気を博している作品が多く存在しているのもまた事実である。
ただし、個人的には上記記事でも語らせていただいたように、女子スポーツ作品と男子スポーツ作品は似て非なるものであり、一概に優劣を語れるものではないと考えている。
今回の記事では、オタク文化における「女子スポーツ作品」の立ち位置とその独自の魅力とは何かについて、語っていきたいと思う。


まず、大前提としておきたいのは、これから語ろうとしているのは、オタク文化の中における「女性スポーツ作品」についてであり、現実の女子スポーツについては全くの対象外であるという点である。
これはいわば、「2次元=オタク文化」と「3次元=現実」の棲み分けというものであり、語るに当たって比較対象とはさせてもらうかもしれないが、あくまでもその立ち位置と独自の魅力を語る対象は2次元作品についてであることに注意されたい。

さて、それを前提とした2次元の女性キャラの魅力とは、上記記事でも存分に語らせていただいたように、”萌え”の要素という絶対的正義を有していることによる圧倒的な「商品的価値=ブランド力」によるところが大きい。

作品を形作るにおいて、「女子高校生がやるから面白い」場面など、それこそ湯水のように溢れている。彼女たちは存在そのものに“萌え”という武器を有しており、ただそこにいるだけで「商品的価値=ブランド力」を手にしているのだ。

@上記記事より抜粋

この「商品的価値=ブランド力」は、女子スポーツ作品においても遺憾無く発揮されているのが常であり、その華やかさによるブースト効果は作品の魅力を語るに当たって絶対に外せないものである。
であるので、技術、パワー、スピード、そしてそこから生まれる圧倒的な迫力といった、純粋なスポーツとしてのパフォーマンスの魅力を突き詰めるなら男性のそれには敵わないとしても、そこにプラスアルファとして加わる女性キャラの魅力による上げ幅は著しく大きいものであり、作品全体の評価としては全く引けを取らないものなることは珍しくない。

この点、そのプラスアルファを強烈にブーストできる2次元要素は、女子スポーツ作品という架空の物語を描くに当たって、非常に相性がいいといえるのだろう。
登場人物がことごとく美少女であり、全員がそこに”萌え”という武器を有しているというのはその最たるものであり、競技以外にも普段の学校生活のシーンは日常系作品として楽しめるなど、女性キャラならではの強みもある。
つまり、純粋な試合の勝ち負け以外にも魅せる要素がたくさん作れるわけであり、これが女子スポーツ作品の持つ独自の魅力の一つとなっている。

近年においては、男子スポーツ作品が下火になりつつあるという議論も度々耳にするが、その原因の一つとして、これはやはり「熱い試合展開」だけを求めるなら、現実のスポーツでも代替可という部分も大きいのだろう。
記憶に新しい2023年のワールド・ベースボール・クラシックにおいては、MVPに選ばれた大谷選手が投打の二刀流による異次元の大活躍を見せ、見事日本を優勝に導くなど、まるで漫画の中の出来事であるかのような鮮烈な記憶と歓喜を我々に与えてくれた。
これはまさしく、現実が2次元を超越した瞬間であり、その「筋書きのないドラマ」の優位性が顕著に表れた好例であろう。
つまり、男子スポーツ作品が最もしのぎを削って戦わなければならないライバルは、実は他のジャンルの作品でも女子スポーツ作品でもなく、「現実のスポーツ」なのである。

一方、女子スポーツ作品においては、同様に現実のスポーツとの比較ももちろんされるだろうが、男性のそれと比べてその度合いは大きく下回るだけでなく、その”萌え”という武器による独自の魅力を有しており、”2次元であること”の優位性が現実を凌駕する場面も多いといえるだろう。
そしてそれは、その”萌え”という武器に殊更敏感な我々オタクたちにとっては、なおのことである。

また、その他に女子スポーツ作品で個人的に注目している要素として、女子スポーツは男子スポーツ以上に才能(=センス)や生まれ持った運動神経及び身体能力が物を言うのではないかという点がある。
あくまでも自分のイメージではという前提で語らせてもらうが、女子スポーツは男子スポーツと比べて、練習量や試合経験の多寡による実力の伸びしろの差異が比較的少ないのではと感じている。
もっと分かりやすく例えると、『さほど運動神経は良くないけど小さいころからその競技一筋でコツコツ頑張ってきた努力家』を『その競技の経験自体は少ないけれども運動神経バツグンの他の運動部からの助っ人』が容易く凌駕できてしまうイメージがある。
つまり、誤解を恐れずに言うなら、運動神経及び身体能力に優れている女性は、現実においても(こと学生の部活動の範疇であるなら)どの競技でもすぐにトップクラスの選手になれてしまうイメージがあるのである。
これが男子スポーツになると、例えば『SLAM DUNK』の桜木花道のようにいくら身体能力に優れていても、初心者として相応の苦戦を強いられるイメージになるのだが…。

これは逆に言えば、女子スポーツ作品であるなら、上記の桜木花道の例のように、初心者ではあるがバツグンの身体能力に恵まれたキャラが短期間で試合で活躍するようになるというシナリオにも、より説得力が持たせやすくなるのではないだろうか。
あるいは、他の運動部からの助っ人がなし崩し的に入部してしまうというありがちな展開もまた然りである。
実際のこうしたケースの多寡は把握できないが、これもある意味、女子スポーツ作品の独自の魅力であるといえるのかもしれない。


さて、ここまで語ってきたことを踏まえ、改めて女子スポーツ作品としての物語の描き方を類型化すると、大きく分けて3つの類型に分類できると自分は考えている。
ここからは、その3つの類型についてそれぞれ語っていきたい。

①”萌え”の要素に特化している作品

本類型については、男子スポーツ作品との差異をほぼその性別差にしか見出せないことが特徴であり、物語全体の構成としては、もしそのまま性別を反転して男子スポーツ作品に変換したとしても何ら問題は生じないことがほとんどである。
それでは、何を狙いとして女性キャラでそのスポーツをするのかということになるのだが、それはもちろん”萌え”の要素を殊更に重視しているが故であり、まるでこの世に女性キャラしか存在しないような世界観で描かれている作品すら一定数存在する。

昨今の風潮では「男子×熱血」の組み合わせが時代遅れであるとして敬遠されることが多いことに比べ、「女子×熱血」の組み合わせは現在でも根強い人気を誇り、自分自身、女子スポーツ作品の熱い根性と固い友情に塗れた泥臭い展開には、時に涙する場面もしばしばである。
上記では、”そのまま性別を反転して男子スポーツ作品に変換したとしても何ら問題は生じない”と述べたが、それはあくまでも”物語の整合性の観点からは”ということであり、物語の魅力としては、男子スポーツ作品に置き換えることで大きく損なわれてしまうというのは言うまでもないだろう。

これらは、純粋なスポーツのパフォーマンスとしての魅力は男子に劣るので、”萌え”という要素でそれを補填しているという見方もでき、”萌え”の要素さえしっかりと描けていれば、競技部分の描写は二の次になってしまってもいいとされてしまっている風潮があるのも、ある意味で真実ではある。
しかし、その部分においても、実際の競技経験者も唸るような男子スポーツ顔負けの本格的な描写がなされている作品も少なからず存在し、2020春アニメの『球詠』などは、その部分が読者(視聴者)から高い評価を得ている作品の代表例といえるだろう。

よって、”萌え”と”本格的”という一見相反する要素が共存している作品こそ、本類型の作品の真骨頂といえるのかもしれない。

②男子スポーツをライバルとして位置付けている作品

本類型については、”男子への挑戦”がそのテーマになっている作品が当てはまる。
これまで述べてきたように、女子がその身体能力では男子に劣るのは生物学的な観点からも紛れのない事実であり、現実でも男子と女子で明確に競技種目が分かれているケースがほとんどである。

しかし、本類型の女性主人公に関しては、それを是とせず”女子だって負けてない!”と言わんばかりに男子スポーツの世界に飛び込んで奮闘する姿が描かれることが多い。
記憶に新しいところだと、2021春アニメの『さよなら私のクラマー』については、主人公の恩田希は男子顔負けの高いテクニックを有しながらも、徐々にその身体能力の差により男子に勝てなくなっていく葛藤を抱え、中学時代から男子と対等にプレイできるフィジカルを求め続けながらプレーをしている。
そして、結果的には高校では女子サッカー部に所属することになり、高校でも男子と対等に戦うという夢への憧れと諦めという折り合いの付け方が物語のテーマの一端となっている作品である。

さらに、マイナーな例にはなるが、自分が贔屓にしている『八月のシンデレラナイン』というスマホゲーのシナリオでは、”女子だって甲子園を目指してもいい”というテーマの元、主人公の有原翼が率いる女子野球部は、全国の男子野球部と対等の立場で甲子園を目指すことをその大きな目標としている。

これらの作品については、どうしても男子には劣る身体能力による葛藤と、女子スポーツとしての世間的にマイナーな立場と戦おうとする展開が主軸となっており、これは上記①の類型とは異なり、性別差の反転が起こり得ない構造となっている。
つまり、”女子スポーツであること”自体にシナリオ上の大きな意味を有しており、”萌え”の要素については文字通りプラスアルファの要素に過ぎないのが大きな特徴であるといえるだろう。

③むしろ女子スポーツの方がメジャーである作品

本類型については、むしろ女子スポーツとしての立場が男子の同種競技よりも強いことが大きな特徴であり、ある意味最も”女子スポーツである意義”に溢れた作品が属することとなる。
本類型の作品に関しては、実は自分も大のお気に入りの作品がある。

『あさひなぐ』は、高校の薙刀部を舞台にした作品であり、女子スポーツとしてはマイナー、男子スポーツとしてはさらにマイナーという競技の特性上、当然のように、そして必然的に女性キャラ中心の物語となっている。
その圧倒的な画力と大胆なコマ割りから描かれる熱い試合描写、青春時代ならではの恋や葛藤、ライバルキャラとの因縁と友情、競技としての個々の実力差から生まれる厳しい現実、時に部の存続が危ぶまれるような場面もありながらもそれを乗り越えての結束など、主人公サイド、ライバル高サイドを問わずありとあらゆる見所に溢れており、その名言・名シーンの嵐には何度涙腺を刺激されたか分からない。
単行本全34巻という長編である以上、全編のアニメ化は現実的ではないだろうが、その日を一日千秋の思いで待っている作品であり、スポーツ作品というジャンルを超えて、かの『SLAM DUNK』にも匹敵するほどの傑作であると個人的には本気で思っている。

前置きが長くなってしまったが、この③の類型こそ「女子スポーツ作品」を描く意義の真骨頂である。
この類型の作品はあらゆる意味でとにかく強い。
女子スポーツ作品として描くことに作為的なものを差し挟む余地が全くなく、あるがままの現実を描こうとしたら自然と女子スポーツ作品になったというだけなのだから。
もちろん、そこに”萌え”という要素を感じるかどうかは読者(視聴者)の勝手であり、それによりさらにその魅力がブーストされることも当然起こり得るだろう。
しかし、この”必然性”は確固たる存在として常にそこに存在し、その作品をその作品たらしめる理由を強烈に示し続けている。


最後に、ここまで語ってきた女子スポーツ作品の最大の魅力は、”萌え”と”燃え”、言い換えれば”可憐さ”と”カッコよさ”を同時にど真ん中直球で楽しめるという点にあると結論付けたい。
作者にとっても、時に可憐でありそして時にカッコよくもあり、時にリアルでありそして時に虚構であり、という相反する要素を兼ね備えた構成が要求されるので、さぞハードルも高いことと思われるが、その分まだまだ伸びしろも大きいジャンルであることは確かである。
願わくば、『あさひなぐ』のような傑作に再び出会いたいものである。


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