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一度死んだから言えること


◉リハビリというもの③
リハビリの最初はコンディショニングからでした。そこから車イスで廊下に出て、長さ2mの平行棒に立つ事から始まりました。
 立てたら一歩踏み出す。二歩踏み出すみたいな地道なところからやったのですが、体力が落ちてる事よりも、つくづく動悸が邪魔していると思いました。

でも先日にも書いた様に、皆んな幸せ!ありがとう!の実践により、動悸も下がり始め、それと同時に体が徐々に動く様になって来たのです。

2mの平行棒もいつしか往復して歩ける様になり、ある時は平行棒を持たずに歩けもしました。そして一番しんどかったのが、低いイスに座り立ち上がる事でした。

どう踏ん張っても体を支えきれず、座る事が簡単には出来なくて、やっと座れても今度は立ち上がれないと言うものでした。

しかしそれも部屋を変わる頃には出来るようになり、その事で車イスの使用が自由になり、排尿排便も昼間なら自力でトイレで行えるほどに戻りました。

後は立って歩く事です。ここまで来ると目標がはっきりしますし、退院の文字が現実味を帯びて来ます。

カテーテルが外れ、カニューレが外れ、オムツが外れて、その度に自由を手に入れる事ができました。

理解と意識の持ち方で、コンディショニングもより効果的になり、みるみる間にリハビリの点数が上がり、こんなに急激な回復は見た事ないと言われました。

まさに奇跡だと言われたのです。

前の病院でも急カーブを描いて転院し、こちらでも同じく驚かれるくらいのスピードで動作が出来るようになりました。

先ずは歩行器を使った訓練からです。ドラマでよく見るやつですね。バランスがまだ悪いので、支えが無いと倒れてしまうからですが、それでも通常よりスタスタと歩くのでPTが、「スキーのストックみたいなものを使って、実際に歩いちゃいましょう!まめぞうさんならイケると思います!」と励まされました。

そんなこんなの時に夜間のオムツも外れて、夜中でも一声掛ければ自力でトイレに行って良いよと許可もおりたのです。

後もう少しですが、リハビリそのものに関しては、一旦ここまでとし次は食事に関して話をしましょう。


続く


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