「暴力」と「しつけ」の境目
先日私が住むマンションの機械式駐車場で見かけた光景。
道路の角を曲がってすぐ駐車場の入り口があって自動じゃないから、一旦、車から降りて操作盤を操作してゲートを開けてからバックで入庫します。
操作盤での操作を終えて車に乗り込もうとしたとき、角を曲がってきた小学低学年の女の子と父親の親子。
その父親がその女の子の頭を頭上からドンッ!と叩き、女の子は「ごめんなさい」って下を向いて謝ってました。
私の父は手を挙げる人だったので、女の子が何か悪いことしたんだなぁ〜ぐらいにしか思わなかったんです。
でも、当時の記憶が蘇ってきて私自身が怖くなりました。
私の父は自室で1人でテレビを観てあまり出てこないような人で、兄と騒いでいると突然、ドスドス足音を立ててリビングまで来ると「何やってんだ!うるさい」と言いながら近づいてきて頬を平手で叩くのがお決まりのパターン。
もしかしたら、手を挙げられることが「しつけ」として、有り難く思う子供がいるかもしれない。
だけど、少なからず私は手を挙げられて「ありがとう」と思う子供ではなかったし、反対に手を挙げられるたびに反発心が積み重なるだけ。
もしかしたら父には「愛情」という意図があったのかもしれない…
でも私は「しつけ」とか「愛情」なんて全く思えなかった。
父からの「しつけ」は私にはただの「暴力」だった。
じゃぁどうしたら私は「暴力」じゃなく「しつけ」として受け取れるのか?とかいろいろ考えたけど、やっぱり手を上げた時点で「暴力」であり「しつけ」じゃないと思いました。
先の女の子の話に戻りますと、、、
叩かれる上学低学年の女の子を目撃しても、
『女の子が何か悪いことしたんだなぁ〜』
ってなんの躊躇もなく私はさらっと思ったことに驚いたし、分からなくなりました。
だって私は前者の「手を挙げること自体が有り得ない」と経験者として感じていたのにも関わらず、後者の考えだったから。
ある人は、親が子供に手を挙げること自体が有り得ないと言うし、
またある人は、言っても聞かないならしょうがないと言う。
「しつけ」としての「暴力」はアリなのか…
少なからず私は頬が痛かった。
豆田 梅美
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