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不完全である勇気

不完全である勇気とは?


「不完全である勇気」とは、自分の不完全さを認める勇気のこと。
「完全」であろうとするのではなく「不完全なありのまま」の自分を受け入れること。
つまり、「不完全な自己の受容」である。

「不完全である勇気」は、自分の不完全さを言い訳にして挑戦することを回避してしまう人に必要な勇気。

意識的に何かに挑戦しているが、結果的に挑戦を回避してしまう人は、「不完全である勇気が欠けている。

負のスパイラル

自分自身が完全でないから挑戦しない

挑戦しないから成長しない

成長しないから失敗する

失敗するから自分は完全だという自信を持てない

最終的に、
自分は何をやってもダメな人間だと無力感を感じる(学習性無力感)

たとえ不完全であっても自分自身をOKとする勇気が必要

では、その「不完全である勇気」を受け入れるにはどうしたらいいのか?

「自分が不完全であることを受け入れる」4つのこと

「自分は劣った人間だ」という感覚はどこからきているかというと
「自分は完全でなくてはならない」という思い込みである。

「完全でなくてはならない」
と思っていいるので完璧に物事をこなせなかったとき
「自分はダメだ」と感じる。

周りから劣った人間だと思われることが怖い…恐い

その不安を解消しようと私たちはできている「フリ」をしてしまう
(問題点1)
フリがばれたとき、いっそう恥ずかしい状況に置かれる
(問題点2)
ばれたら困ると思っていつでもヒヤヒヤしていなければならない

根本的に解決するには
「自分が不完全であることを受け入れ、劣っているという勇気を持つこと」

そこから出発し、(不完全な部分)を少しでも(完全)に近づけるように努力することで自己評価はよくなる。

1つ目「嘘をつかない」

「自分が不完全である」ことを隠すために(嘘をついてしまう)
・本当は知らないのに「知っている」と言ってしまう。
・本当はできないのに「できる」と言ってしまう。
悪気はないのに、自然と口から出てしまう。

嘘をついてその場は切り抜けることができたとしても、問題の根本的な解決にはならない。あとで嘘がバレたときは一層恥ずかしい思いをし、自己評価も傷つけてしまう。

嘘をつかないことが「自分が不完全である」ことを受け入れるための第1歩。

2つ目「自分が完全を求めていることに気づく」

嘘をつかないことに加え、自分自身とよく対話をして「自分が完全を求めているかどうか」を確かめる習慣をつける。

「私は決して失敗してはならない、完璧にやらないといけない」
「周りからできない人と思われてはいけない」
「自分が完全でなくてはならない」
と思い込んでいることに気づければ

「そこまで自分を追い込まなくてもいい」
「肩肘張らなくてもいい」
「できなかったとしても、バカにされることはない。みんな優しく見守ってくれる」と思える。


3つ目「自己主張訓練」

「自分が完全でなければならない」という思いに気づけたら次に大切なのは

自己主張訓練

これを通して「不完全な自分を受け入れる」練習をする。

わからなかったこと、理解できなかったことは
「わかりませんでした!」
「理解できなかったので、もう一回お願いします!」
と、言えるように自分を訓練する。

わからないまま過ごしていては、嘘やフリがバレて取り返しのつかない悪い事態を招きかねる。

「知らない」「わからない」は、恥ずかしいことではない。
要は「玄関」
回れ右をしてその先を知らないままなのか
ドアノブに手をかけて扉を開くか

「自分は不完全であること」を認め
それを正直に話をした方がメリットは大きい。

4つ目「自分の不完全さを受け入れると、強くなれることを知る」

ある男性は、自分の欠点を自らが認めることで誰から非難されてもビクともしないそう。
非難をはねつけるのでも、全面的に受け入れるのでもなく
ただ、「なるほど。それについて僕も詳しく知りたいから、もっと詳しく話してくれる?」と言うそう。
しばらく話を聞いているうちに相手は何も言えなくなってしまう。
このように自分が不完全であると認めることができていれば、相手の指摘に逆上することもなく冷静に話を聞くことができる。

「他人からどう思われてしまうだろう」と過剰に不安になることもなく、精神的な強さを手にすることができる。



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