人生を愛おしいと思いたい

ある大学の音楽サークルのOB.OGが毎年集うライブ。そこに、私の高校時代の同級生、先輩たちも出演するので、楽しみに行ってきました。

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このライブを観に行ったのは、今回が初めてではありません。

夫が存命中、でも、命の限りは確実なのだという日々の中、精神的にもギリギリだった私は、一瞬でも「がん」の話題がない世界に行きたくて、このライブを観に行きました。4年前が初めてでした。

その時、私は、楽しそうにステージに立っている人を見ながら、『こうやって人生を楽しんでいる人と、自分の命のカウントダウンをしている夫』との

『あちら側とこちら側』を感じていました。

生きて、楽しそうに過ごしている人を、羨ましい気持ちをもって観ていたのです。

このライブに出演いているバンドには、夫が「スキルス胃がんの冊子を残したい」と取り組む気持ちを応援し、冊子出版のためにチャリティライブをしてくれたバンドも毎年参加しています。

チャリティライブがなかったら、夫の想いは叶えられなかったし、何よりも、今も毎日のように全国からの問い合わせに発送している冊子の存在はありませんでした。

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もうひとつ、感謝していることがあります。

夫は、チャリティライブを通じて、そのバンドの音楽が大好きになりました。

そこには、日常のクスっとする内容の歌詞があり、そのバンドのCDを家でも、入院の時もずっと聴くようになりました。

「命の現実はあるけれど、くよくよしたって何も現実は変わらない。だったら、元気だった時、僕もあんなことしたな、こういう人だったなと思い出し、病気になる前からの自分の続きを生きていきたい」

それを思い出させてくれたのが、そのバンドの楽曲だったのです。

夫は、そのバンドのCDを聴くことにより、生きてきた日々を思い出していました。きっと、生きてきた日々を愛おしいと思えていたのだと思います。

【立ち止まるのが怖かっただけ】

夫が亡くなり、すぐに私は希望の会の理事長を引き継ぎました。夫の遺志を継いだと思ってくださる方も多いですが、そんな気持ちではなく、ただひたすら動き続けなかったら壊れそうだっただけです。止まったら、深い闇に吸い込まれ、二度と立ち上げれないんじゃないかという恐怖があったのです。理事長の立場として会員に弱っている姿を見せたくなくて、私は飛び回り、大丈夫アピールをしていました。でも、心の中では、ずっと神様を恨んでいました。

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実際は喪失感が大きく、家では灯りもつけずに布団を被っていました。

そんな時、グリーフケアのセミナーがあることを知り、個人として、すがる想いでその会に参加しました。

【紙をくしゃくしゃにするように言われた】

主催はがんでも有名な病院で、講師はグリーフケアでよく名前を聴く方でした。

まず、会場にはクラッシックが流れていました。聴く人が聴けば、結婚式場を連想するのだと思いますが、私には葬儀場の音楽のように感じられてしまいました。

そして、講義の中で白い折り紙のようなものが配られました。

「紙をくしゃくしゃにしてください」

言われるがままにクシャクシャにすると、それを何回もするように言われます。そして、その後に続いた言葉が

「しわが気にならなくなりませんか?」というものでした。

何を言いたかったのかを聴く気持ちになれず、その場にいたたまれなくなった私は、飛び出すように会場を後にしました。

『私の人生は、クシャクシャなんだ』

いつか慣れる。それが普通になる。とらえ方次第だと言われたように思ってしまったのです。

【イメージにあてはめられたくないから作ったCD】

不幸すぎて怖いといわれてしまった経験を持つ私は、きっと、「私も夫も残念な人ではない」ということを必死で訴えたかったのだと思います。

ちょうどその頃、あるご縁で、街のクリニックの受付のお手伝いをすることになっていた私は、病院の待合室に流れる音楽が「ヒーリング」系の音楽であることに、なんとなく違和感を持ちました。

それで、自分の知り合いの方々で、作曲が出来る方、写真を撮ることが好きな方、デザインに携わる人に自分の想いを話し、待合室に流すCDを作るという大挑戦をしました。

ジャケットは、それぞれの方が撮りためていた写真、音楽は完全なオリジナルで、いろいろな光景が浮かぶようなものをという私の無茶ぶりに力を貸していただき出来上がったのが「カタリスト」というCDです。

カタライズ

音楽に、写真に写った風景に触れることで、心の奥に眠っている何かが目覚めるように

その想いを込めてタイトルは「Catalyst」

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CDを作ったのは2年前になりますが、昨日、ライブで高校時代の文化祭後夜祭を蘇らせる光景を前にした時、私が何にもがいていたのかが、ストンと胸に落ちてきたのです。

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【私という存在を確認したい】

音楽には、頭が忘れていることを感覚として蘇らせる力があります。

昨日、目の前のステージを観ながら、「私はずっと生きてきた。子どもの頃があって、若い時があって、夢をもって生きてきた。」

そう思って、涙が溢れそうになりました。

『これだ、私が言いたかったのはこれなんだ』

生きている中で、誰にもいろいろある。いいことばかりじゃなく、描いてきた人生や夢が一瞬にして消えてしまう経験をすることもある。

それを、とらえ方でプラスに変えようと頑張るのではなく、

人生にはいろいろあって、これも一コマなんだよと思えたら、生きていこうと思えるんじゃないか。

ネガティブなことが起こると、どうしてもその事に心が奪われ、体中が包まれてしまうけれど、それを、とらえ方で乗り越えるんじゃなくて、

「あなたはずっと生きてきた。そして、これからも生きていく。その中の一コマが今で、悪いことが起こったことは、たまたまで、あなたに罰があたったんでも、失敗でもなんでもない。」

「これからも、何が起こるかわからないけれど、それが人生で、あなたは、ネガティブな経験で存在が変わったわけではない。

ずっと、一生懸命に生きてきたんだよ。きっとこれからの人生も愛おしい」

そう思いたかったんだということを、ライブが整理してくれました。

【這い上がろうと頑張らなくていい】

自分としては残念なことが起こってから、ずっと自分を責め、何かできないか頑張り、あのことを境に存在の意味すら変わってしまったように思うことがありました。

そんな気持ちが、「キャンサーギフト」「金メダル」ということへの違和感に繋がっていたのかもしれません。

その人がそう捉えることで、人生を愛おしいと思えることなら、素晴らしいことだと思います。否定をするものではありません。

それがスタンダードみたいになって、そこに当てはまることが正解みたいになることはどうなのかなと思っているだけで、賛成派反対派という対立ではないとも思っています。

人生が変わってしまったように思う経験、実際、諦めなくてはならないこともありますが、「あちら側とこちら側」に選別されたのではなく、それぞれの人に等しくいろいろある中で、自分に起こっていることは、自分には一大事。誰もが特別なんじゃないと思うことが、CD作りへの挑戦や、GANNOMIをやってみようになっているのかなと腑に落ちました。

【誰にでも等しく力がある】

私は、最近、覚悟をして発信していこうと思い始めていますが、その理由は自分の年齢を意識したことです。

私に30年後があるのかはわからない。

20代の時には、30年後はあると思っていました。

そうか、私もいつかはいなくなるし、そんなに先のことじゃないんだなと思った時、何にエネルギーを使いたいかと考え始めたということです。

夫が晩年、迷いなく、目に力さえもって行動していたのは、自分の時間を意識したからなんだと思います。

自分の存在、人生を愛おしいと思いたい。

無意識の中にある、自分の本来の姿を思い出させてくれるものが

音楽だったり、香りだったり、光景、ぬくもりだったりする。

そう考えると、いろんなことを、また思いついちゃいそうな気もします。

街のイルミネーションを見ながら涙を流し、神様を恨んだあの日から5年。

私は、やっと、自分の人生って、案外、いいじゃん❢と思えています。


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。