大人のいじめ…

夫の余命を告げられ、母を火事で亡くし
「不幸すぎて怖い」と言われた私。
でも、私は教員であり、教え子の卒業を控えていました。
私を職場に向かわせていたのは、ひたすら

責任感でした。

こどもたちには何も関係ない。
私はいつも通りにしなくては。
出来ていたかどうかはわかりませんが、
自分では普段通りにしなくてはという想いだけでした。

教員室で、誰もが、私を上目遣いで見ているのは感じていました。
私はその時、勤続28年。
職場では、結婚し、出産して、育休は有名無実の中
勤続してきた初の存在でした。

朝ドラの「なつぞら」ではありませんが

夫は「あなたの行動が、次への道を拓くんだ」と励ましてくれ

義両親も協力してくれ、そして、夫は職を辞し、在宅でできる仕事に
変えてまで、私の就労を応援していくれていたのです。

(夫は研究職でしたが、弁理士になりました)
思えば、私の上司は、独身二人でした。

きっと、私への個人的な想いもあったのだと思いますが。

ある日、子どもたちを帰し、教員室に戻った時

私の席が変わっていました。

何も告げられず。

理由を聴くと

「あなたが不幸すぎて、あなたの顔を見ると怖いと他の先生が言うのよ」

耳を疑いました。

ここは教育の現場です。

それ以降、私は行事の集合時間も教えてもらえず、

控えていた発表会の準備からも外されました。

申し出ても「あなたがいると、みんながこわばるから」と。

自宅で待っている、抗がん剤の副作用にも苦しむ夫には

とても言えませんでした。

しかし、食べ物が喉を通らず、何かが変だと感じてはいたようです。

同時に、土日には、焼けてしまった実家の片づけに通いました。

「可燃物と不燃物を分けて連絡する」

火事で焼けてしまったものの、何が不燃物なのか。

例えようのない匂いの中、焼けてしまった過去の残骸を片付ける虚しさ。

その時、私は、全世界の人を信じられないと思ってしまったのです。

それが、私が、世界を敵に回しても、夫を私が助けるんだと思ってしまった

理由です。

それが、私を民間療法に走らせていきました。

主治医の話す、エビデンスは、私たちを切り離す冷酷さにしか

感じられませんでした。

「邪魔者は消されていくんだ」

そう思ったのです。

それでも、夫に食べさせるものを探しにスーパーに行った時

偶然会ったママ友に

「よく、こんな時に買い物できるわね」と言われ

「お墓参りしていたの?」

「玄関の位置が悪いんじゃないの?」と言われ

決定打となりました。

「誰も助けてはくれない。私は忌み嫌われる存在なんだ」

今ならわかります。

誰も悪気はなかったんです。

思ったことを言っただけ。

でも、私は、完全に「あちら側」と「こちら側」を感じ

世間の目を避けるようになっていったのです。

孤独になること

これが一番、視野を狭めます。

優しいウソに縋りたくなる土壌が、しっかりと出来ました。

(つづく)


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。