医療者と共に歩んできた日々

がん治療の虚実データベース完成を祝して

【押川先生と浜本先生との思い出】


夫ががんと告げられ、情報を求めて検索をしていた時
『がん治療の虚実』というブログに出会いました。
SHOという名前で医療者が書いていたブログ。
その人こそ、今やYouTuberとなっている押川勝太郎先生でした。
数あるブログの中で、このブログの内容は違うと夫は愛読していました。
そのSHO先生が、東京で勉強会をするという情報を得て、夫とドキドキしながら行ったのが新橋のルノアールの個室。
2016年2月だったと思います。


押川先生が東京で開いた会の第1回でした。
目の前にいる人がSHO先生なんだ❢とドキドキしました。

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ほとんど同じ頃に、私の携帯に一本の電話がかかってきました。
「希望の会に入りたい」という内容でした。
医療者であるとわかり、会いたいとお伝えしたのが浜本康夫先生です。
医師になったばかりの頃、スキルス胃がんの若い患者さんに出会い、その方の旅立ちが今も心に残っていると話してくれた姿に胸が熱くなりました。


2016年8月に夫が旅立ち、私は理事長になりました。
自分の日常もおぼつかないまま、会員を不安にしてはいけないと必死な中、交流会をという会員の声にこたえて開いた東京での忘年会に、なんと、押川先生と浜本先生が駆けつけてくれたのです。
患者との交流会に参加する経験が少なかった浜本先生は、関西から東京の交流会に駆け付けた希望の会会員の『ノリ』に面食らっていました。
それを押川先生が笑いながら見ていて「どんどん積極的に、患者さんの前に出ていけば慣れる」というようなことをおっしゃたのを覚えています。

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少しして、浜本先生から「リベンジしたい」というご連絡をいただき、そんな流れから、押川先生、浜本先生と私の3人で
【公開セカンドオピニオン】が始まりました。

今は、医療者が患者と共に発信することも珍しいことではなくなりました。コロナ禍、その場はさらに増えているようにも感じています。
公開セカンドオピニオンをスタートした頃は、配信も試行錯誤でしたし、なにより、『どんな質問にもすべて応えていく』というスタイルは、先生方の覚悟と熱い想いがあって継続してきたことであると思っています。

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押川先生は、ライブ映像をコツコツとテーマごとに編集し、アップしてくださっています。
ずいぶん前の動画が次々とアップされる中で、以前の、それも撮影をまったく意識していない自分の姿に冷や汗がでますが、先生方と歩んできたかけがえのない日々が今に繋がっていることをしみじみと感じています。


押川先生は、最近、誰にでもYouTubeを勧めるので、以前、個人のブログに振り回された経験がある私は、それ、大丈夫ですかなどと思ったことをお伝えすることもありますが、押川先生から人を信じる気持ちの大切さを同時に教わっているところです。

4年前には、患者さんのツッコミに顔を赤らめていた浜本先生は、今や、【公開セカンドオピニオン】をけん引し、次々とアイディアを考えています。

次回の【公開セカンドオピニオン】は12月19日土曜日。
なんと『腫瘍内科スペシャル』


その日の夜にGANNNOMIもしちゃう?なんて話にもなっています。
昨年の全国胃がんキャラバン、今年の『動画で学ぶ胃がんのすべて』、そして、グリーンルーペプロジェクトの基盤になったのは
押川先生、浜本先生と歩んできた日々です。
押川勝太郎先生が作成した、3年間、460本の動画リストに
その日々がつまっていると思うと、なんとも感慨深いです。

https://pushriversho.com/fx/460PDF?fbclid=IwAR0KgjgNkKuqPfv4cVp9zp56DzGBJmhRfez1eBEv264MZvs3WBYp_nSOCqo


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。