患者会が必要なくなる日を願っている

患者会活動8年目。
今年、発信の場が広がり、お声がけも過去最高にいただいています。
希望の会を立ち上げた当初、どこの馬の骨かと面と向かって言われた経験を思えば、いろいろな想いが沸き上がります。

私は幼稚園の仕事が大好きで、30年勤務した園舎の扉が最後に締まる時の音が今でも忘れられません。

でも、今年になって、やっと、

これは私の運命だったのだと受け止められてもいます。


私にお声がけいただいたこと、与えられた場は、その重み、信頼を考え、精一杯取り組みたいと思っています。
そう思っているからこそ、準備も随分と前から取り掛かって、何回も確認します。
今年、3年ぶりに現地開催という場が増えてきました。
オンラインへの全面変更を求められた時と同様、今度は現地開催、もしくはハイブリッド開催への変更で、運営事務局の大変さも理解できます。
セッションによってはオンライン、現地で登壇など条件が違っており、そのためにネット環境を確認してから宿泊を予約して、移動も早めを心がけています
しかし、何回問い合わせても「決定していません」「わかりません」と言われたまま当日が刻々と迫って来るという今まで経験したことがない不安を感じる場面もあり、なんだか毎日が綱渡りみたいなのです。
どんな球が飛んできても打ち返すことが出来て当たり前にならないといけないなと思うのですが、緊張状態が続くと眠れなくなったり、何回もトイレに行ったり、やはり

「人間だもの」

と思うこの頃です。

昨日、パネリストの機会をいただいた会場からの帰り道、ある会議を移動しながら傍聴しました。その中で「活動の公益性が高いと認められる患者団体等について、公式サポーターとして認定する仕組み等の検討を行う」という議題があり、(公益性ってなんの物差しで判断するの?誰が?じゃあ、認定されないところも出てくるの?)と思っていたら、そのまま会議が進行していきました。

時々、どんなに頑張っても、私の夫は返ってこないのに、私はこの毎日を生きていくのだろうかと思うことが正直あります。
そのような想いで心血を注いで活動してきた方々が多いことも感じています。だからこそ、立ち止まるほど驚きました。

公益性の判断をどこでするのか。


このような活動は気持ちでやるべきものだというイメージがあると感じており、清貧であることが求められているように感じてしまうことすらあります。
患者会が必要なのは、社会に課題があるからです。
私は患者会が必要なくなる社会を願っています。

公益性を認定する仕組みを作り、そこに国民の血税を注ぐのではなく、患者会が必要なくなる社会のために審議を進めていただきたいと心から思っています。
いいね!
コメントする
シェア


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。