こんな哀しみの中でも正気を求められるんだなと思っていたあの日

(夫が旅立った後、怒涛のように押し寄せた葬儀の準備の中、私の魂は抜けていた。
夫に手を合わせてくださる方々を、違和感をもって呆然と見ていた。
この世から肉体が無くなることは受け入れ難いことだけれど、あっけなく重い扉の向こうに行ってしまった。
その後の日々、こんな哀しみの中でも、人は正気でいることを求められるんだなと思い続けていた。)

そんなことを思い出しながら、今朝の朝ドラを観ていました。


『哲也さんはいつもあなたの側にいるよ』と言われるたびに、そこに込められた気持ちに感謝しつつも、私の心はその言葉に扉を閉ざしていました。
そして、そういう言葉を言われない時間を求めて、毎週、電車に乗ってピアノ演奏が聴けるバーに1人で飲みに行っていました。
あの時の私にとってシェルターみたいな場所だったのだと思います。


いつ、私は彼の不在を受け入れたんだろう…と考えてみると
3回忌法要での「これで、完全に成仏されました」というご住職の言葉に、がん告知からの日々が終わったのだと思ったので、それは変化だったのだと思います。


最近、なにかあれば、夫に手を合わせて見守ってほしいとお願いするし、先日、思わずソファーで寝落ちして、会議開始時間にふと目が覚めた時には、夫が起こしてくれたのだとさえ思いました。


朝ドラの菅波先生の言葉が夫を彷彿とさせます。
夫からよく『もう弱音か』『あなたが決めたことでしょ?』『嫌だと騒いで現実が変わるの?』と言われました。
随分、ドライなやっちゃなと心の中で思っていたのですが、あれは理系的な思考だったのかな…

とにかく、びっくりするくらい違う視点だったけれど、それが、否定ではなく、背中を押してくれていたんだなと思います。

今でも、不在を完全に受け入れているわけではないし、不完全なまま生きていくんでしょうね、私。


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。