近すぎて見えない

私の住んでいる街は、海外からの居住者が多く、道を歩けば必ず複数の外国人に出会う環境にあります。
そんな中、私は今朝、犬の散歩で外国人と立ち話をしたのです❢
最近、私が『自分』を取り戻してきているように感じているのですが、
昨夜の厚坊先生とのサシ話を通じて、また一歩、『自分』でいられるようになったのかなと思いました。

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阪神大震災で一瞬にして身内を亡くされた厚坊先生と、火事で母を亡くした私。

常日頃から、私は自分の過ごしてきた日々が『重い』と感じていて、(充分に話していると思われるでしょうが、これでも)言葉にしなかったことがたくさんあったのです。
アーカイブが残らず、顔が見えず、userも限られ、熱も下がってきたclubhouseだからこそ、聴衆として参加してくださる方も、本当に聴きたい方なのだろうと思い、私は昨夜、結構赤裸々に自分のことを語りました。
厚坊先生も、『その時』のことを、具体的に語ってくださいました。

厚坊先生も私も『なぜ、あの時、取り乱さなかったのか』という問いを心の底に持っていることがわかりました。

私の場合は、取り乱せなかったのです。

生きていく中で、こんなに受け入れ難いことはないという状況でも、人は判断を迫られます。
『判断』『選択』をするのは自分だという状況が、かろうじて自分を立たせていたのだと思います。
ただ、それをする立場は、本当は一番、起こったことに衝撃を受けている人であることが多く、そこで自分を奮い立たせた『無理』は、その後、鉛のように心の中に残り続けました。

昨夜、厚坊先生と語り合う中で、私がニンジンジュースなどの不確かなものにすがった根底には、父の大動脈解離での突然死、義父の時の終末期鎮静、そして母への生命維持装置の選択の3つの経験で、私が『助けられない状況に医療は冷たい』という感情を抱いてしまったことにあることを話すことができました。

そして、図らずも、私も厚坊先生も、その後、身内を病院で看取る中で、ある医療者の『人として』の心に触れ、心の中で何かが変わったという同じ体験をしていることもわかりました。

私は、昨年夏からオンライン英会話レッスンを始めています。このきっかけは、英語が必要だったからではありません。
日本語を聴きたくないくらい、心が追い詰められていたからなのです。

昨年から始まったコロナの状況の中、私が患者会活動の中で心を開いていた存在が、これでもかというくらいに次々と旅立っていきました。
Stay Homeの状況で、『大切な人は、本当にもうここにはいない』『永遠に会うことはない』という状況に真正面から向き合うことにもなりました。

昨年の今頃、活動を止めてはいけないと自らに課し、オンラインでGANNOMI、ライブ配信をするとき、人から見られる『轟 浩美』を演じている自分を、パソコンの画面の中で見続けました。
『自分が分離している…』
まるで社会で求められた変容に、器用に対応し、行動しているかのように見える私のもとには、『あなたのようにはできない』『前向き』『強い』という言葉が寄せられました。私はどんどん孤独になっていきました。
たぶん、表面的には私は『大丈夫』に見えていたと思います。その時こそ、自ら命を絶ちかねない危険な状況だったのです。

2月末、私は『寄り添いってなんだろう』という、ある意味、挑戦的なセミナーを企画しました。表面的に『良いこと』という空気に包まれていくことに、私は、いつも疑問を抱いてしまいがちです。それで『水を差す』とか『武闘派』とか言われるんだろうと理解しています。

あの時に、『寄り添いハラスメント』という言葉が生まれましたが、『王様は裸だ』的な言葉として独り歩きすることにも懸念を抱いています。
『キャンサーギフト』『防災』『人生会議』…普及啓発を目指して、生まれてくる言葉があります。
『造語』は、時に心を揺さぶります。揺さぶるからこそ、そこに乗っかりたくなり、俯瞰することなく、わかったような気持ちにしてしまう危険もあるんじゃないかと思っています。

【近すぎて見えない】
昨日、これも偶然に、私の高校時代の恩師が、このような内容の投稿をしており、ああ、そうだなと思いました。

私は、心のひだに触れなくてすむ英語の世界に飛び込んだことで、常に問われました。
【あなたはだれですか?】

私は誰なんだろう。
そう考える中で、踏ん張りすぎ、自分に【べき】を課し、勝手にもがいている自分が見えました。

昨日の【SASHI】で、私がなぜ、高校時代、サッカー部のマネージャーになったのかを話しました。
好きな男の子に会いたかったからなのです。
ピッチピチのアズーリブルーをわざわさ着る、イタリア「イケメン」サッカーが好きです。
私って、こういう人だったじゃないか❢

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そして、大好きだった選手はガットゥーゾ。
やっぱ『武闘派』なんでしょうかね。

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ガットゥーゾは、昨年末、重症筋無力症を患っていることを明かしました。
明日何が起こるかわからない人生。
その中で、自分の日々を、せめて自分の心にうそをつかずに生きていきたいと思うのでした。


全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。