若い遺族の孤独~イルミネーションが浮き上がらせる影

私の今の活動の原点になっていることは、青森に住む、ある若い夫婦との出会いにあります。

彼の奥さまは20代でスキルス胃がんで旅立ちました。希望の会が発足した年に、ホームページを見て連絡をしてきたのは、患者本人である奥様でした。

産後の肥立ちが悪いのだと思っていた】

不調は妊娠中からあったのだそうです。悪阻だと思ったり、赤ちゃんで胃が圧迫されているのだとか、生んでからは産後の肥立ちが悪いのだと思っていたのだそうです。

赤ちゃんを抱えて病院に行く時間はなかなか作れず、また、がん検診も対象の年齢ではありません。

若いゆえに、「がん」の可能性も頭に浮かばなかったのだと思います。

いよいよおかしいと思い、受診した時に告げられたのが、かなり進行したスキルス胃がんでした。

夫婦は幼子を親戚に預けて、東京、名古屋で開催したセミナーにも治療法を求めて参加しに来ました。

でも、寂しそうに言ったのが「自分には標準治療はもうないのだとわかりました。もっと早く、臨床試験のことも知りたかったけれど、自分たちが住んでいる地域では、セカンドオピニオンも親戚の反対を受けます。これが、私の運命なのだと思います」という言葉でした。

その後、だんだん体調が悪くなり、お正月に彼女から電話がありました。

「きっと、お電話するのは、これが最後だと思います。今、私は入院しています。もう家には帰れないと思います。どうか、どうかお願いします。

夫を支えてください。彼を一人にしないでください」

その後、彼女は間もなく旅立ちました。

【残された夫が受けた誤解】

20代の我が子を喪う。両親の気持ちの矛先は、遺された夫に向かいました。

「あなたがストレスをかけたから、娘は死んだんだ」

そう言われたそうです。そして、彼すらも、そのことで自分を責めていました。

明らかな、がんに対する誤解です。

彼は、子育ての応援を、奥様の実家に求めることはできなくなりました。

彼のご両親は、彼を支えようとしましたが

「こんなに若くて妻を亡くすなんて、なんて息子はかわいそう。もっと健康な人と出会えばよかったのに」

と嘆く両親にも心を開けなくなりました。

そこに追い打ちをかけたのが、周囲からの再婚の勧め。

恋愛して、結婚して、間もなく起きた妻の死。

妻は生活のための存在ではなく、彼にとっては唯一無二の人なのです。

彼は、息子と二人で生きる道を選びました。

若いので、職場でもいろいろな融通を言い出しにくい状況にありました。

妻を亡くしたことは周知のことですが、その話題になると、必ず再婚の話になるので、彼は、生活上の悩みを誰にも話すことができなくなりました。

同じ年齢の友達は、まだ、結婚していない人も多く、みんなでの飲み会などには、幼子を預けて出かけることはできません。

そして、保育園に迎えに行くと、保母さんも、まわりにも若い女性だらけ。

親しく話せば、また、「その気持ちがある」と思われてしまうのが怖い。

彼は、どんどん社会から切り離されていったのです。

【青森に会いに行こう】

奥様からいただいていた電話での「彼を一人にしないでください」という言葉が、今もずっと私の胸の中にあります。

希望の会で会合を開いても、彼が来られる状態ではないのなら、自分が出かけていこうと思いました。

でも、わざわざ出かけて行ったら、きっと憐れんでいるのだと思うでしょう。

そこで、各地で開催されているリレーフォーライフを利用しようと考えました。

リレーフォーライフとは、1985年、一人の医師がトラックを24時間走り続け、アメリカ対がん協会への寄付を募ったことに端を発しています。 「がん患者は24時間、がんと向き合っている」という想いを共有し、がん研究の促進を支援する目的で、日本でも各地で開催されています。

彼に会いに行こうと調べ、近い日程では八戸で開催があることを知り、私はリレーフォーライフ八戸への参加を決めました。旅立った奥様とやり取りがあった患者会員と、やはり妻をスキルス胃がんで亡くした会員が、同行してくれました。

「24時間、私たちは、この場所にいる」

この言葉に彼が動いてくれるかは賭けでした。

でも、彼は子どもを連れて姿を現してくれたのです。

【初めて妻のことだけ考えられた】

お子さんは、2歳になる前でした。私たちが子どもと遊んでいると、彼が

「歩いてきていいですか?」と聞いてきました。

「もちろん」と答えると、そこから、彼は、足が痛んでしまうのではないかと思うくらい、ひたすら歩き続けました。

画像1

そして、私たちに言ったのです

画像2

画像3

「あれから初めて、妻のことだけを考える時間を持てました」

そして「話したいことがある。子どもを親に預けてくるから待っていてほしい」と言われ、その後「一緒にお酒を飲んでほしい」と行った先で話してくれたのが、先に書いた内容です。

奥様を見送って半年が過ぎていました。

彼は「やっと、飲もうと思った。青森には田酒というおいしいお酒があるんです。ぜひ、ぜひ、一緒に飲んでください」

そして、彼は、本当に美味しそうにお酒を飲みました。

【彼だけの話ではない】

スキルス胃がんは若い年代にも罹患が多く、20代、30代の旅立ちも多いがんです。

その後も、同じような事例が相次いでいます。

そして、年齢に関係なく、夫を亡くした家庭では、経済的に支えるために、残業もして、子どもたちだけで食事をすることも少なくありません。

これは若い年齢だけの問題でもありません。

この50代後半の私にも、再婚を勧める人もいます。

いつか、きっと、いい人と出会えるよと言われることもあります。
パートナーを失った私は、何かが足りない人ですか?
もしかして、素敵な出会いがあるかもしれない。

その時は、そのことに躊躇わずにいたいとも思いますが、私は欠けてしまったピースを探して生きているのでもありません。

失ってしまったものは埋められないとも思っています。

その上で、自分の人生を生きていけばいいのだとも思っています。

再婚を勧めたりされる一方、異性と親しく話していたり、髪の毛を伸ばしたり、明るい色の服を着ると「色気づいた」と言われることもあります。

哀しんでいれば「いつまで哀しい自分に浸っているだ」と言われたこともあります。

こうやって、自分の気持ちを出せる場所を失っていく

私自身、何のために生きているのかがわからなくなり、2年ほど前には「死にたい」という気持ちで、何回も線路を見ていたことがあります。

私が死ななかったのは、母をも火事で亡くした時に「不幸過ぎてこわい」と言われた経験があったから。

もし、ここで、私が死を選んだら、我が子たちは、きっと不幸だと言われるのだろうという思いが、ギリギリ実行を止めました。

この経験があったから

がんへの偏見を無くしたい

情報を地域の格差なく届けたい

がんサロンには行けない人がいる

暗いと言われようと、キラキラだけではないがんの現実を発信していこう

ということが私の中に強くあり、それが

胃がんキャラバン

グリーンルーペプロジェクト

GANNNOMI

に繋がっていったのだと思っています。

そして、実際に全国に足を運ぶのは、何よりも地域の支援者に繋げるためです

東京からどんなに私が赴いても、私には、その地域での毎日には何もできないので、リレーフォーライフや、地域のがんサロン講演を断らずに行くのは、そこに大きな理由があります

【光があると、影が濃くなる】

ある人が、その言葉を言った時、本当にそうだと思いました。

がんを取り巻く環境は進んでいます。改善しています。

がんになって、今までは諦めていたであろうことを、諦めなくてよい状況が増えてきました。

それは、本当に喜ばしいことですし、私たちにとっても希望です。

でも、がんになってもイキイキと生きていく姿だけがクローズアップされ、私自身、人との繋がりに大きな力を得て今がありますが、繋がりに焦点を当てれば、それが出来ない状況にある人の影を濃くしていく不安もあります。

また、何気なく発信しているであろう「生きているだけで金メダル」「検査で無罪」などの表現は、何か見つかった人は有罪なのかといイメージにも繋がっていく心配があります。

言いたい意味はわかるのです。それを望んでいたのですから、痛いほどわかる。

でも、何気ない言動が影をつくってしまうこともある。そのことを、私もしっかり心して発言しなくてはいけないと思います。

【この時期は辛い】

画像4

ちょうど5年前のこの季節に、夫のスキルス胃がんがわかりました。

その後、年明けに実家が火事になりました。

街がイルミネーションとおめでとうに溢れ、家族を強く意識するこの季節。

あの頃の私は、本当に景色がモノクロに見えていました。

今はちゃんと奇麗だなと思ってみています。

だから、私なりに、何かを受け止め、それなりに進んでいるのだとも思います。

でも、時折、ぽっかり空いてしまった穴を、何か手短なことで埋めてしまいたくもなります。

それをしてしまったら、きっと、虚しさが増すだけだと思っても、それでも穴に耐えられなくなることが今もあります。

それは私が弱いからじゃないと、敢えて思いたい。

そして、こんなことをnoteに書いているのも、イルミネーションで彩られた今日も、いろんな想いが溢れていると言いたかったのだと思います。

全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。