はだかの王様とエコーチェンバー

エコーチェンバーという言葉を知った時、私ははだかの王様の話を思い出しました。

「バカで愚かな人には決して見えない不思議な布」

愚かだと思われないために、王様だけではなく、周囲の人も「すばらしい」と洋服を褒めたたえます。

愚かだと思われたくないという気持ちの他に、どちらの立場を取れば自分にとって利があるのかという気持ちも大きく働いていると思います。

他の人も『素晴らしい布』と言うから、やはり布は存在している。見えないなんて言ったら、自分が愚かだとわかってしまう。

こうして、『布はある』になっていくのはエコーチェンバーなんでしょうね。

まったく利害関係のない子どもが「王様ははだかだ ❢」と叫んだことをきっかけに、今まで「見えている」風を装っていた沿道の民衆も「はだかだ」と言い始める。

これは、「言ってもいいんだ」という空気になったから、『実は』となっていく。

誰かの大きな一声で、多くの人が影響されてしまう根底には、自分が少数派になると損をするという概念があるのではないかと思います。

こう考えてみたら、エコーチェンバーの危険にもなるほどと思えました。

SNSにも、その危険があるように思います。

ある人が、「これはいい」「こんなことは信じられない」というと

その人に賛成か、反対かでコメントがつくように感じてしまうこともあります。

発信者との利害関係、感情が、物事の本質を考えるより強く、意見に影響してしまうのだと思います。

「これを面白いと言うのはわからない」「こんな人とは親しくできない」という内容の発信を何回か目にしたことがありますが、そこに「そうだ、そうだ」とコメントがついていく。

同意することで仲間意識が固まっていく。

「そうだ、そうだ」という態度を示したほうが、自分の立場を安定させるという感情が、本質を見えなくしてしまうこともあるんじゃないかなと思うのです。

そんな中に、「私は違う意見」と発していくのは勇気がいる。

なんか、学校で起こっているいじめの根底と似ているなぁとドキッとすることがあります。


エコーチェンバーとは少し違うかもしれませんが

【0か100かという考えしかないのか】

つまり、賛成か反対かの意見が、時に本質を見えなくしてしまうことがあるのかもと思うことがあります。

私の子どもたちは、現在、30歳前後です。この子たちが小さい頃に、おたふくかぜの予防接種の副作用が大きく取り上げられたことがありました。

無菌性髄膜炎が大きな社会問題となり、その影響を受け、下の子の時には、おたふくかぜの予防接種は定期接種からはずれました。

その報道は、まさに接種の対象年齢の我が子を持つ、私には、不安を煽るものでした。その後、いくつかの予防接種が定期接種から外れていきました。

その結果、我が子たちの年代から、大学生の時ははしかが大流行したり、現在は、風疹が次代に影響を及ぼさないように、抗体検査を勧められています。

強い副作用で辛い思いをした人がいることは事実ですが、そこに大きな焦点を当てて報道していくことが、過剰に社会の不安を煽ってしまった。

その結果、防ぐというベネフィットが薄れてしまった。

どんなことにも、どんな人にも、100パーセントは無い。

何かあったら、切り捨てていくのではなく

ベネフィット、リスクを透明性を持って知り、そこから考え、選択していくことが大切なんじゃないかなと思っています。

【私の失敗もそこにあった】

医療を信じるあまり、医師免許を持っている人が、安全性も有効性もわからないものを施したりしないというバイアスがかかっていました。

人に対し、優しくしてくれたかどうかで感情が偏ってしまい、事実を誠実に告げている医師を冷たい人だと思ってしまいました。

ベネフィット、リスクと今の限界を知り、その中で自分事として考えていくことが大切なのだということは、痛い思いをして辿り着いたことです。

ざわざわしたことには、わかったふりをしないで、「わからない」と言う。

なかなか難しいことですが、取り入れやすい意見を吸っていくのではなく

いろいろな意見を聴き、その上で、自分はどう考えるのかを築いていきたいです。





全国胃がんキャラバン、多くの人にがん情報を届けるグリーンルーペアクションに挑戦しています。藁をもすがるからこそ、根拠のある情報が必要なのだと思い、頑張っています。