父の幽霊|酒の短編11
鏡の中、ひと月前に死んだ父が映っていた。
深酒をした真夜中。湧きあがる尿意に始末をつけ、手洗いの鏡を見たときのことだ。
自分の姿を見間違えたのではない。その後ろにいるのだから、幽霊の類だろう。酔いと血縁のせいか、不思議と怖さはない。
晩年は色々あり、ひとり別に暮らしていた父。私や実家の母たちも含め、年に一、二度会うぐらい。行き来は少なかった。
「部屋の片付けを、あと黒猫……」
心残りでもあったのか、そんなことを言い残し父は消えた。
気づくと朝。夢だと思うけれど、どうにも落ち着かない。
折よく土曜日だったので、一度訪れ、そのまま先延ばしにしていた父の家へ、片付けに向かった。
70を過ぎてからの、まさかの家出。1DKのアパートでの独り暮らしだったので、持ち物は少ない。几帳面な人だったから、入院前に掃除やゴミ出し、食材の整理を済ませてあったのが助かる。とは言え本人も、そのまま亡くなるとは思っていなかったはずだ。
通帳などは実家に置いてあるので、家電に衣類、少しの食器、あとは本を処分すれば大概済むだろう。どうやらあと2回も来れば片付きそうだ。
ひと息つき、コンビニで買ったお茶とおにぎりで昼にする。
ふと壁に貼られたカレンダーを見ると、今日の日付に赤ペンで丸印と「受け取り」のメモ。翌週の土曜日にも、同じく丸印と私の名前が書かれていた。
7月16日(土) 受け取り
7月23日(土) ○○
ああ、そうだ。
生きていれば来週は、みんなでウチに来ることになっていたんだ。ここ2年は母や妹とも会えずにいたから、久しぶりに集まって、食事会の予定だった。妻や子供たちも楽しみにしていたのに。
「まさか親父の葬式で集まるとはね」
独り言を口にした時、チャイムが鳴る。
「ヤマト運輸です」
ドアを開けると、宅急便のお兄さんが立っていた。
「冷凍のお品物ですのでご注意ください」
受け取った荷物はずしりと重い。
箱を開ければ、冷凍になった大きなうなぎの蒲焼きが6尾、白焼きが2尾入っていた。蒲焼きは父と妹の、そして白焼きは母と私の好物だ。
「ああ、そういうことか」
幽霊の言っていた「黒猫」とカレンダーのメモ、届いたうなぎがひとつにつながる。
翌週の土曜日、母と妹夫婦が我が家にやってきた。
父の頼んだたうなぎを食べ、思い出話で盛り上がる。そう言えば今日、7月23日は土用の丑の日。食い道楽の父は知っていたに違いない。好きだったお酒を買ってきて、蒲焼きと一緒にお供えした。
その日もやっぱり飲み過ぎて、真夜中トイレに起きる。手を洗い、鏡を見たけれど、もう父の姿はなかった。
きっと成仏できたのだろう。
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