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みどり と あお

 「あおになったら渡ろうね」と手を繋いでいる母が言う。
わたしは、「え、あお?どれ?」とよく困惑した。
信号機の進めの意味である“あお”は、どこからどう見ても緑にしか見えなかったので、“あお”が受け入れられなかった。
頑固なわたしはずっと「みどりになったよ!」とあえて“みどり”を使っていた。

 中学生の頃、昔の人は青も緑も両方“あお”と呼んでいたので、その名残だと理由を知ってもなお、わたしの呼び方は変わらなかった。
一緒に登下校をしていた友だちに「みどりじゃなくてあおだよ」と何度指摘されたことかわからないが、頑なに“みどり”を譲らなかった。
理由がわかっても、視覚的に緑なのでどうしても許せない何かがあるのだ。

 きっと大体の人は、学生時代のうちに“みどり”から“あお”へのシフトチェンジを済ませるのだと思う。
パパ、ママから(お)父さん、(お)母さんへと。
信号機の“みどり”は“あお”へと。
今から思うと、もっと柔軟になればよかったな、と少し後悔している。
なぜ後悔しているかと言えば、今現在わたしは保育士をしている。
散歩の途中、信号機のある横断歩道を渡るときについやってしまうのだ。
「あ、みど…あおになったから渡るよー」と。
習慣とは怖い。

 そして、今日も“あか”の間、コートのポケットに手を突っ込みながら考える。
一体、大人になっても“あお”ではなく“みどり”を貫き続ける人はどれくらいいるのだろう?と。
日本人の何割が“あお”を受け入れられずに大人になるのだろうか、と。
いつか誰か調べてみてほしい、とそんなことをダラダラ考えながら、“みどり”に変わった横断歩道を歩いている。

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