ほんとうはこわいホルモン剤

薬の中で最も副作用が強いのが抗がん剤といわれている。
その次に強い副作用を持つのがホルモン剤。
ワタシはさいわいにして、最初にかかった時も、再発の時も抗がん剤を使わずに済んだ。
抗がん剤がいかに大変かというのは、申請すれば障害年金が支給されるということからも想像できる。
リウマチでも障害年金は支給されるけど、いろいろ条件があるため、今のリウマチ患者のほとんどはこの支給対象から外されるだろう。支給条件に関節の変形があり、今は検査方法が改善されて関節が変形する前にリウマチが発見できるようになったこと、そして、薬の進歩で変形を治すものも出てきていることが影響している。

ワタシはかぜはしょっちゅうひくし、花粉症はある、月経困難症だっから鎮痛剤は切らしたことがない。なのでそこそこ薬漬けではあったものの、強い薬とか手術が必要な病気とかはがんになるまで一度もかかったことがなかった。
一応術前にあれこれ調べていて、ホルモン剤が抗がん剤の次に強い薬だということは知っていたけれど、自分で体験するまでどれほどしんどいものか、まったくわかっていなかった。

術前にタモキシフェンという錠剤を服用。
手術後、摘出した病巣を病理検査にまわし、治療方針が決まる。
悪性度が低く進行も遅くリンパ節転移がないものの、35mmとまあまあの大きさがあり、年齢も40半ばだったので、「一応やっとくか」くらいの軽いノリでリュープリン投与することになった。これがあかんかった。

まず試しに1か月製剤を投与。
それから血液検査をして、肝機能、腎機能に問題なければ1か月製剤を投与。これが3年続く。
1か月製剤を投与されたときは何も変わりなかった。
変わらなさ過ぎてフツーに生理が来て医者がびっくりしてたくらいだ。
3か月製剤を投与されてからひと月ほどたって、
「死にたい」というワードが頭に浮かぶようになった。

ただその四文字が浮かぶだけ。
実行に移そうとか、具体的な計画を練るわけでもない。なので実行に移す気配など微塵もない。ただその四文字だけが浮雲のようにプカリと浮かぶ。
日常生活に変化があったわけでもない。いたって平穏。いつもどおり。
なのに時折その四文字が浮かぶ。
なんじゃこりゃ?と思って医者に話したら、心療内科を紹介する、といわれたので「いりません」と断った。
明らかにリュープリン投与の後に起きた症状だったので、「やらなくてもいいものなら中止したい」と願い出た。
医者も「次のリュープリン投与まで2か月あるから、それまでの間タモキシフェンを中止して様子見よう。」といい、それで落ち着くならリュープリンは中止、ということで話がついた。

何ということでしょう。
タモキシフェン中止したら例の四文字が浮かばなくなった。

その話を次の診察の時にしたら、めでたくリュープリンは中止。
以後5年間タモキシフェンのみで過ごし何事もなかった。
なのになぜ。タイムリミットの5年にほんの1か月弱足りないタイミングで再発。しかも胸骨傍リンパ節なんてちっさい場所に。
がんは再発すると薬が強くなっていくという。
前回は自殺念慮を理由に逃げたリュープリンだが、再発してしまった以上逃げるわけにはいかなくなった。
仕方がない、腹をくくるか、と治療を受けたものの、その後投与終了までの間とんでもない数年間を送るハメになった。

再発した理由は、自分なりに思い当たるフシがあるのだけど、それはまた次回に。

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