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自由の放棄

近所の温泉に行った。
私は「いこう!」と決断するまでにすごく時間がかかる。
逆に言えば、決心がつかない。
怖い場所でもないのに新しいことが苦手と言った方がいいかも。
知らない場所にひとりで行きたくない。
でもそれって視野を狭める。行動を制限される。

間違えてもいいから行ってみる、やってみるがすごく嫌で、
絶対に間違えたくない、失敗したくないという思いが強い。
たまに、誰に認められたいんだろうって思う。

英語力を生かしたくて、伸ばしたくて、気になる方の体験講座を受けた。
これがもうすごくしっくりいく体験で、申し込もうって決めた。
決めた後に揺らぐ。
安い金額じゃない、本当にいいのだろうか。

でも、答えはやってみないと出ない。
それでも私は悩む。
「やりたい」という自分を否定している。

「はいじさんは英語力はあると思う。
 だけど英語にブロックがあるように感じる。
 そのブロックが外れたらスラスラスラ〜って話せるようになる」と言われた。

私、小さいとき「やっちゃいけない」って言われたことすごく多かった。
小さいときのせいにしてはいけない、親だって一生懸命私を育ててくれた、そう思うから、そう言うことを口にしてもいけないし、こんなふうに書くこともいけない気がしてる。
それこそがブロックなんだろうな〜

例えば、急に誘われたとき、私は私が行きたいか行きたくないかも考えるけど、行った方が正解なのかどうかってことも同時に考える。

それをやめる。
自分に自分に聞いてみる。
『行きたい?行きたくない?』って。
自分で考える。
『行きたいか、行きたくないか』って。

自分で考えないこと=自由の放棄

楽ちんなのだよね。
考えないで人に委ねると失敗した時に人のせいにできるから。

大好きなArisaさんのポッドキャストでArisaさんが話していた、
『自活はしてるけど自立はしていなかった』のことば。
これグッときた。
まさに私だと想った。

zoomで講座を受けるとたまに「お部屋すごく素敵ですね〜」って言ってくださる方がいる。
自分ではそうでもないと思ってるけど、素敵だと言われること。
私のおしゃれな友達もそうなんだろうな〜
自分の好きなものを着てるだけ、特におしゃれと思ってない。
私のインテリアもそう。
好きなものを買って置いてるだけ、特に素敵と思ってない。
今、部屋に置いてあるものはすべて私が選択して置いているものしかない。

人は避けているようで日々、選択している。
迷うときも迷わないときも選択しているんだよね。

最近、自分に変化が起きてきている。
出会うもの、こと、人。
今まで選ばなかったことを選んで得ること、なくすもの。
それでも、いつも今が一番いいと思えること。

でも、正直48歳なんて何の悩みもなく、順風満帆に生きているものと思っていたよ!

そして、昨日の夜、寝る前に突然思い浮かんだことば。

Meaning of I'm being.
It's because for me and being myself.

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