見出し画像

お伽話の攻撃性

先日、ぼんやりとTwitterを見ていたら、こんな写真を見つけた。

①濁った海でトライアスロン選手が泳いでいる写真

②体調を崩してしまったトライアスロン選手の写真

この2枚。

すこし前に開催されていた東京オリンピックでの一幕だ。

それらに対して、

「こんなに汚い海で泳がせるから選手の体調が悪くなるんだ」

「国際問題だ」

「これだからオリンピックは」

という声が多数挙がっていた。

私は海の水質に詳しくない。トライアスロンの経験も無い。

おそらくほとんどの人は同じではないだろうか。

だからこそ、2枚の写真から読み取れる情報は

【①の写真】

・海が濁っている

・その海で選手が泳いでいる

【②の写真】

・選手が体調不良を起こしている

以上。これだけである。提示された事実はこれだけなのだ。

海の濁りが何によるものなのか、それは危険なものなのか、

選手たちの体調不良は何によるものなのか、トライアスロンで体調不良を起こすのは異常なことなのか、そして、並べられた2枚の写真に因果関係はあるのか

そんなこと、ぱっと見で分かるはずが無い。

私たちは何らかの文章や情報を前にした時、

1、提示された事実だけを正確に読み取る

2、提示されていない情報を想像し、補う

このような行動に出る。

この時大切なのが、1と2を同時に行ってはならないということだ。

2で作り出されたものは各々の仮説に過ぎない。お伽噺だ。

正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。

「お伽噺を作るな」というタイトルにしてしまったが、仮説を立てることに罪はない。

ただし、それをまるで事実のように吹聴してはならない。

ネットの海を漂っていて心苦しくなるのが、

Aさん「○○は××じゃないと思いますけど。あなた頭おかしいんじゃないの。」

Bさん「私、そんなこと言っていませんよ…」

というやり取り。

Bさんのつぶやきを見てみると、確かにBさんはそんなことを言っていない。

「◯◯は××である」というのはAさんが作ったお伽話だ。

しかし、Aさんがその勘違いに至るまでの思考回路が手に取るように分かる。ああ、ここをこう思いこんでしまったんだろうな。

自分の中で作ったお伽噺を事実であると錯覚し、誰かを攻撃してしまう。

そしてどこからかやって来たCさんとDさんがAさんを攻撃し、あっという間に地獄絵図。

勘違いは誰でもするものだ。

私もよくするし、間違うことは決して悪いことではないと思う。

しかし、強い言葉を使って人を攻撃するのは良くない。これは当然のことだ。

人を攻撃する言葉たちを見たくない。

こんなことを書いたからと言って何もいうこともないが、ただただ、最近そう思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?