雨の日に思い出すことと思い出さないこと
昔、こう言われたことがある。
「初めて少し遠くにデートに行った日、傘をさしてもビショビショになるような大雨が降っても、機嫌が悪くなるどころか楽しそうにしている君を見て、心の底から君と付き合って良かったと思ったんだ。」
甘い。
実に甘い。
でも、私は実際に楽しかったのだ。
信じられないくらいの大雨が降って、信じられないくらいビショビショになったけど、それが面白くて楽しかったのだ。
彼はイケメンな上に面白く、ごはんもお酒も一緒に楽しめる、最高な彼氏。
私もこんな人と付き合えてよかったと思っていた。
こんな人、他にいないと。
付き合って1年も経たずしてお互いの両親への挨拶も済ませた。
そして、彼は浮気をして、私たちは終わりを迎えた。
彼曰く、結婚を目前に急にプレッシャーを感じ、迫り来る責任から逃げてしまったとのことだった。
知らんがな。
私にも悪いところはあったと思う。
ただ、これは本当に信じていただきたいのだが、私は彼に1度も結婚をせまったことはなかった。
とは言え、私も真剣にお付き合いをしていたため、ダメージは大きかった。
食欲は減退し、急激に痩せた。生気を失い、あろうことか特に仕事好きでもない私が、仕事に集中している時が1番ストレスフリーだと感じるようになった。
それでも周りの皆様の温かな支えのおかげで、徐々に回復していった。
(仕事中が最もストレスフリーな時間ではないことに気づくのは割と早かった。)
しかし、恋愛はなかなかできなかった。
大雨の日は何度も彼の言葉を思い出した。
彼は今何をしているのだろう。
あの大雨の日のデート先に、違う女の子と行っているのだろうか。
考えるだけ無駄なことを何度も考えた。
私には彼が良かったし、あんな彼、もういないかもしれないのに。
そう思っていた。
しかし、それは違った。
時間が傷を癒すのは、本当だ。
それに加え、私は自分の好きなことに時間を充てるようになった。
本来、私はやりたいことがたくさんある人間だったことを思い出したのだ。
映画も見たいし、読書もしたいし、英語も勉強したいし、トレーニングもしたい。
雨の日に彼を思い出すことも、あまりなくなった。
私は、彼のことをとても好きで大切に思っていたから、その分何度も思い出してしまうのだと思っていた。
しかし、そうではなかった。
私は単に暇だったのだ。
それ以外に考えること、することがなかったのだ。
雨の日とか、正直関係なかったのだ。
彼みたいな人(イケメン)はいないと思っていたが、視野を広げて街を眺めると、彼レベルの人はたくさんいた。すげーたくさんいた。あちこちにいた。
そのことに気づいてからは、徐々に恋愛もできるようになった。
それ以降、私が雨の日に思い出すのは、「雨の日に楽しいデートをした彼」ではなく、「雨の日に楽しいデートをした彼を思い出すオモロい私」になった。
人は変わる。
時間がかかっても、確実に変われる。
どんなに厚い雨雲もいつかは晴れる。
明日晴れなくても、いつかは晴れる。
私の心を晴らしてくれた皆様には、とても感謝している。
あの彼にも、少し。
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