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このキモチを残しておきたかった 自分の足で訪ねてみて

残しておきたいと思ったことは、素直に書いておこう。
知らない街を走るバスの中、わたしはひとり、涙が止まらなかった。
ふいに気づいたら泣いていること、なんてあり得ないと思っていたけど、あり得た。

大学2年生の春休みに入る前、苫小牧―仙台のフェリーをぽちった。
中高生時代に、日本の歴史を学ぶような修学旅行がなかったわたしは、東北か広島に行きたいと思っていた。
あとは単純に、ひとりでフラフラとのんびり、日常から逃れてみたかった。

・・・

朝日を見ようと意気込んだけれど、失敗。

出発直前にJRからバスへ変更するハプニングがありながらも、15時間フェリーに揺られ、仙台に降り立った。

どでかリュックを背負ったまま向かったのは、石巻。寒空の中で乗り換え電車を待つなどし、お昼頃には到着していた。

立ち寄ったお寿司屋さんで、わたしにとっては高級なランチをいただきながら、ちょっぴり不安な気持ちになっていた。

強面な大将にどこから来たのかと言われ、答えると、やや驚かれた。これから行くところを告げると、もっと驚いていた。
たぶん、若い女の子がひとりで、というのがひとつと、ここから徒歩じゃ厳しい、というのがもうひとつだったと思う。

厳しいと言いながらもご親切に観光パンフレットとかタクシーの番号とかを教えてくれた大将にわたしはお礼を言い、店を後に。

お散歩日和のいい天気。

(あ、こりゃ大変だ)と、寿司屋からちょっと歩いたところで立ちはだかった坂道と階段を目の前に、思った。
途中で道に迷い、公園の芝刈りをしていたおじさんと一緒にGoogleマップとにらめっこしたが、無事に到着。

そこは、綺麗すぎた。

なにもないように見えた。でもなにかがあるようにも見えた。

訪れた施設で足早にお手洗いに行き、はやくはやくと言われんばかりにボランティアのおじさん二人に小さなシアターに案内された。

津波の映像と、被災者の声が次々に映し出された。テレビで見たことあるやつだ、と思った。

「はやく逃げろ」と家族に言いましたが、今では間違っていたと思います。
「はやく逃げろ」ではなく、「はやく一緒に逃げよう」でした

このおじさんの詳しい背景は映されていなかった。だからなにがあったのかはわからないが、この言葉だけはなぜか鮮明に覚えている。

ななめ前の席で見ていたご夫婦がスタバのコーヒーを嗜んでいたことにやや違和感を覚えながら、上映は終わった。

施設内には解説ボランティアの方が5名くらいいた。こちらの様子を伺いながら、歩み寄って来たり、そっとしておいてくれたり。

地震や津波のことについて、歴史年表とかいろんな数値やデータがパネルで紹介されていたが、ちょっと無機質だななんて思ったりした。数字って、信頼できるけど、それまでなのかも。

丸い眼鏡をかけた、お父さんより10個くらい年上に見えるおじさんが、話しかけてきた。

「どうですか、ここまで見ていて」

(いやいやそんなド直球に…)と内心びっくりした。話そうとしたけど、言葉が喉につっかえた。
そんなわたしを見てか、おじさんはこの施設の天井の高さを解説してくれた。

「あの天井の高さまで、波が押し寄せたんですよ。しかも、高さだけじゃないんです。時速40キロ。想像できますか?」

おじさんとわたしは天井を見上げていた。わたしの5人分くらいの高さだった。

「ソウゾウ、できないですね」

やっと始めて言葉を発せたわたしは続いて、札幌からフェリーできたことと札幌は地震が少ないほうだという話をした、気がする。

「でも、ドウトウのほうで大地震が予想されているでしょう。この震災と同規模、それかそれ以上と言われていますよね」

ちょっと感情が荒ぶったように見えた。今回の震災で、自分の会社や家が壊れたこと、目の前に遺体があっても自衛隊の手が来るまで移動させてはいけないこと、でも毛布をかけてあげる姿が至る所であったことを教えてくれた。

「よくここで例えさせていただいているのですが、いま僕たちが立っているここと、そこに境界線があって床の色が違いますよね。こちら側は、生きた者たちなんですよ、って」
「あとですね、この震災では鬱や精神疾患を抱える人が増えました。心にしんどさを感じたときには、思いっきり泣けばいいんです。ほら、布団にかぶさって、思いっきり、声をあげて泣けばいいんですよ」
「泣くのは悪いことでもかっこわるいことでもない。自分の心を守るためなんです」

たぶん、おじさんはわたしに教えてくれたんだと思う。自然の驚異と、備えることの大切さと、そして次の世代へ記憶を続けていくことを。

わたしは感謝の意を述べ、次の目的地へ向かった。

やっぱり、外は綺麗すぎる。
でも、その景色の中で、ここだけがそのままだった。

最初はつくりものにしか見えなかった。
自然の力で、こんな姿になってしまうことが、どうしても想像できなかった。

わたしにもあった、何気ない学校生活。背の高い私にとっては小さかった机とか椅子とか、先生が立つ教壇とか、黒板とかオルガンとか。
それらが全部全部、真っ黒で、木の部分は焼けきっていた。

なんとなく、カメラを向けるのが怖くって、写真は撮っていない。

唯一撮ったのは、展示スペースにあったこの文章だった。

わからないけれど、整理もできていないけれど、
なんだか生きなければならないと思った。

死にたいとか消えたいとか思っていたわけではないのだけど、そう思った。

それと同時に、不思議と心がスーッと軽くなった気がした。

・・・

複雑な気持ちを抱えたまま、石巻をあとにした。
その気持ちに一旦蓋をするように、観光客っぽく楽しんだ。

立ち寄ったカフェがとってもよかったのだけど、
そこでたまたま手に取った詩集で、震災のことが描かれていた。

また複雑な感情がぐるぐる動いたのだけど、
詩集の中でこの文章にちょっぴり救われた。

そして、帰りのバスの中。フェリーで帰るというあとひとつのイベントを残していた。

「疲れた~、飛行機でひとっとびして帰りたいや」

と、家族にLINEを入れた。

「ゆっくり帰っておいで~」

と、通知が来た。

ここから、なぜだか止まらなかった。知らない街を走るバスの中でひとり、ずっと泣いた。はじめてこんなに声を殺して、ひとりでただただ。

・・・

本当はnoteに残すつもりはなかったのだけど、
なんとなく、このときのキモチを忘れたくなかった。
なんとなくだけど、将来の自分自身を救ってくれる気もする。

人間が勝てない、コントロールできないもの。
それが教えてくれたもの。

知った私は、どう向き合っていけばいいのだろうか。

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