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エッセイを書いていきます!

先日、自分が書いた文章を添削していただきました。
3つのテーマから題材を選んで、600字〜800字ぐらいの文章を書いて送り添削してもらうものでした。
書店で原稿用紙を買って、何度も書き直しながら、2枚ほどにまとめました。私にとって初めての試みだったので、筆が進むように、自由題で書いて送りました。

タイトルは「思い出」

帰ってきた原稿用紙をドキドキして見たら、なんと花丸が書いてあったんです!とってもうれし〜♡

「思い出は今からでも書けますよ。今日あったことをエッセイにしてみましょう。よく書けました。花丸です。」とのコメントが!
しかも、別途A4用紙1枚分の先生の講評つきだったのです。

「思い出を残しておきたいなら、自分が主人公の物語を書くことです。生まれてから順番に書く必要はありません。自分が主人公の小さな物語を書いてください。」

会ったこともない先生からの温かいメッセージ。とてもうれしかった。花丸をもらって、すぐその気になる単純な性格なので(笑)、今後、noteではエッセイを書いて行きます!

ワーママが、お昼休みに見てほっこり、くすっと、そしてじんわりするものを主軸に書いていきたいと思います。
そして、書きたまっていったら、「本」という形にしたい!と夢を語っておきます。


添削に出したはじめての作品を載せておきますね。

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「思い出」

 思い出を残しておきたい。日記でも写真でも何でもいいから、あの時こんなことがあったと思い返せるように記録しておきたいのだ。
 ところが、私は物事をあまり覚えていられるタイプではない。特に子ども時代の記憶がほとんどなく、小学校の頃を鮮明に覚えている友人の話を聞くと、うらやましささえ感じる。
 そんなこともあって、子どもが産まれてから、思い出に対する執着のような思いは強まっていった。育児日記に子どもの成長や自分の気持ちを綴っていたが、慣れてくると同じように毎日が過ぎていく感覚になり、いつしか意識して書かなくなってしまった。うれしかったり、心に残る出来事があると、絶対覚えていられるだろうと安心していても3ヶ月もすればキレイさっぱり忘れてしまう。母子手帳に「首すわり」から「ひとり歩き」までできるようになった時を記入するページがある。はっきりとできるようになった時を書こうと待っていると、記入するタイミングを逃してしまう。写真を見て思い出せることならまだいい。写真に残っていない思い出やその時感じていた自分の気持ちを思い出せない時、くやしくて悲しくていたたまれなくなる。
 両親を亡くした方が、思い出を共有できる人がいないのが寂しい時があると言っていた。「あの時さ」と話す人がいない。自分しかわかるひとがいないせつなさを話を聞いていて感じた。
 「人生は思い出でできている」と、私は思っている。うれしいことも悲しいことも楽しいこともつらいことも全部今の私をつくっている大切な要素。できることなら、自分がどんなことを味わってきたのか覚えていたい。大切な人との思い出を思い出して、その時の気持ちを改めて感じたい。グラデーションのように成長していく子ども達の姿を、切りとってこの手につかまえていたいと強く願う。
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