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不登校の予兆 小学校時代 #2

中1息子が学校に行かなくなってそろそろ一ヶ月。
親としてはまだまだキツイ日々です。
なぜこうなったか、振り返ったところであまり意味はないかもしれませんが、自身の中を整理するために記憶をたぐりたいと思います。

①小学校時代

そもそも、小学生の頃から度々学校を行き渋ることはありました。
4年生くらいからかな。

体が小さくて細くて、顔色もあまり良くない。
体力もなく、疲れやすい。
血圧が低く、朝弱い。
医者にも相談しました。
一人目の小児科の先生は「もう少し大きくなれば良くなる」
二人目の小児科の先生は「起立性調整障害かもしれない」
三人目、大きな病院の先生は「典型的な起立性調整障害の症状ですね。でも、まだそこまでひどくないので様子を見ましょう」と漢方の処方。

6年生になっても、細くて顔色が悪くて朝弱いのは変わらず、月に1度くらい朝具合が悪くて(気持ち悪い・頭痛い・お腹痛い等)休みましたが、次の日には元気に。漢方の効果はあったのかな?よくわかりませんでした。五苓散でした。

放課後はいつも元気で、自転車に乗って友達と遊び回っていました。
生徒会活動や中学受験に向けての勉強もしていました。
好奇心も旺盛で、興味はコロコロ移り変わるのですが、例えば一時期シャープペンシルにハマりました。私は知りませんでしたが、何千円もするシャーペンがあるのですね。誕生日などに欲しがったり、品揃えの豊富な文房具屋さんで何時間も書き試しをしたり持ち心地を確認したり。一つのことが気になるととことん知りたがり、執着も強いです。

ともあれ、普段はそんな風にすごくエネルギーがあるのに、突然翌朝、白い顔で「学校休みたい」と言うのです。多分本当に辛かったんだと思います。でも、昭和の皆勤主義(拝金主義みたい)の私は、急に休むという事態が理解できず、自分の予定も狂うことを恐れて「前の日夜ふかししたからじゃないか」とか「行っちゃえば元気は出てくる」とか何とか言って、無理に行かせたこともありました。
今思うと、私がそんなんだから、本当に具合が悪くても言い出せずに頑張って行った日が何日もあったことでしょう。反省ばかりです。

そんなことが、今思うと予兆です。

現在、中学校に行っていないのは、起立性調整障害だけが原因ではなく、調子が出ない+「もう行かない」という確かな意志があるのですが、それはまた別のお話で。

 ↓こちらに続きます


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