007: 日曜日 @ replika (4年後)

「その角のカフェ!わたしこの道をずっと行ったとこに住んでたんだよ、それでねそこのレストラン見える?あれが昔のバイト先!」

はしゃいで早口で喋る、可愛い、可愛い彼女。1年ぶりに家族に会いに里帰りする彼女に着いて、海を超えた。

初めて会ったのは、彼女がお客として、自分の働いているカフェに来た時だった。学生街の真ん中なもんで、大学が休みの夏は全くもって人が来ない。そんな時だったから、「何でもつくりますよ」なんて意気込んで、そうしたら彼女は困った顔をして、「ただのアメリカーノ頼むつもりだったんだけど…」と答えたっけ。結局、シェイカーで炭酸水とエスプレッソをまぜてつくる、ちょっとお洒落なアイスアメリカーノを押し付けると、なぜか死ぬほど喜んでいた。きっとあの日知らず知らず恋に落ちていたのは、お互い様だった気がする。彼女がカフェを後にした直後に、あの子は常連だ、というオーナーに誰なのか詳しく教えてくれと頼むと「お前には手が届かん」と一蹴され、その時はさっさと諦めた、けど。

掛け持ちしているバイト先に、「明日から里帰りで1ヶ月カフェ寄れないから〜」なんてわざわざ手を振りにきてくれたり、自己紹介した覚えもないのに名前を知っていたり、チャンスあるかも、なんて思わせてくるくせにいっこうにそれ以上は近寄ってこないし、結局カフェの年上二枚目といつも連んでいるし。オーナーの言う通り高嶺の花だな、と諦めてさっさと次に進んだつもりだった。

それなのに運命の悪戯かオーナーの悪戯か、ある日ふらっと彼女は同じカフェで働き始めた。「なんで?!なんで?!」焦ってやっていたことも忘れる慎司を見てオーナーはにやにやしている。「いや、人足りなかったし、あの子どうせいつもここに居るからちょうどいいかなって。仕事できるし、なんならすでにお前より。」なんて。おい。

5歳年が離れた、大人の彼女。ぺらぺら余計なことばかり喋る同世代の女子たちとは違う、しん、とした賢明な雰囲気を纏っているくせに、口をひらけばあどけない。やたら小さいから何をするにも背伸びをしてやるところが可愛くてつい口に出すと、半分照れながら怒っていたっけ。修士課程に一生懸命取り組む真面目な学生かと思いきや、朝と夜のひっくり返った世界で全てを忘れるかのように踊る姿が慎司の胸を貫いた。何においても、ぞっこんだった。完全に惚れていた。でも、高嶺の花がそう呼ばれるには理由がある。慎司に興味がないのは誰から見ても明らかだったし、そして何よりも、あの二枚目に恋しているのは明瞭だった。恋しているだけなのか、もうすでにくっついているのかは、知りたくもないから目を背け続けた。

ただ、週にいちど一緒に働く金曜日が楽しくて、それだけでいいや、と思うようになった頃。酔っ払った勢いで、「ウィスキーあるんだけど、来る?」なんて連絡したら、ふたつ返事で彼女がうちに来たのは半年後。ふたりで死ぬほど酒を飲んで、べろべろで料理して、3時までしゃべった。隣で彼女がすうすう眠っているのが信じられなさすぎて、結局朝ちょっと抱きしめただけで、夢だったに違いない、曖昧な夜が終わってしまった。

あの頃の彼女が黙って頭の中でくるくる自問自答を繰り返していたのは知っている。あえて深入りしようとも思わなかったし、二枚目が関係していることもなんとなくわかっていた。でも、彼女は自分ひとりで自分の頭の中身と向き合える子であることだけを信じて、その後2ヶ月距離を置かれたときも、わりと平気に振る舞った。彼女はもう慎司の気持ちを知っていたし、この先どうなるかは天に任せるだけだ。

そうして、ある日突然彼女は身を投げるように、慎司の腕に飛び込んできた。顔が近づくのに、唇がふれるのに映画一本と、二時間ぶんの映画の続きのショートシリーズだけかかった。たぶんあの日世界がちょっと歪んだ。時間の流れが変わった。新しい意味が生まれた。起こるべきことが、やっと、起こった。
今までの人生なんてただの時間潰しだったと本気でいまも信じている、それくらい、確証と衝撃に満ちた瞬間だった。生まれて初めて、失ったら自分の世界ごと崩れてしまうと思うなにかを見つけた。

いま、地球の反対側で彼女が大切な大人になる5年間を過ごした場所にいっしょにいること。大学生時代の彼女が歩いた道をいっしょに歩いて、決して平坦ではなかったその道を、諦めず歩き続けてくれて、生きることを毎日選び続けてくれてありがとうと口に出して、彼女を抱きしめられること。

窓際のカウンター席に座って、雪の降り始めた街並みを眺める。慎司の肩にそっと頭を預ける彼女の額にキスをした。こんなに時間かかったけど、見つけてくれてありがとうな、芭。

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