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短編小説「ウヰスキーと団子をセットで」

「ありがとうございましたー」
流しにお皿に残ったみたらしのタレを捨てながら、ぼーっとした声で答える。昼間から団子屋でくつろげるとかずるい! ぜーたくだ! そういう気持ちはちゃんと隠して、顔だけは笑顔でにこやかに。

労働は嫌い。好きな人なんかいないと思う、仕事が好きで好きでたまらない仕事してないと脳みそが弾け飛んで死ぬ、なんて言ってる人も、山よりでかい金塊とか持ってたら働かないと思う。
それで家よりでかいウヰスキーなんかを、四畳半の部屋で朝から飲んでると思う。

私だってそう。1時間1500新円で働く生活なんて、嫌で嫌でしょうがない。だって1500新円だよ、菓子パン3つ分だし、海苔弁当1個分だよ。安過ぎんでしょ。
まあそれでも、一応まかない付きだし、ひたすら砂利を運ぶとか、ひたすら地面を掘り続けるとか、ひたすらゴミを集め続けるとか、そういうザ・肉体労働な仕事よりは楽だから、あんまりぜーたくも言えないんだけど。

あとザ・女の特性を活かした仕事とかね。
あれも私には無理だ、そもそも出るものも出てないんだから需要もないし。
目の前に牛の丸焼きと豆もやしの炒め物があって、好き好んで豆もやしを選ぶ男なんてほとんどいない。男としての機能が錆びついてたら別かもしれないけど。

床を見下ろしながら、足首まで見えそうなくらい凹凸のない我が身を眺めていると、
「ぼーっとしてないで働け」
三日三晩酒を飲み続けたようなしゃがれた場末声の婆さんが、背後から頭にズビシィと手刀を振り下ろしてくる。
私は体全体を持ち上げる要領で背筋を伸ばして、頭の位置をわずかに上にずらし、手刀が当たる前に受け止める。

「皿洗いなら終わったよー」
「だったらテーブルでも拭いてきな。働かざる者食うべからずだよ」
この口うるさい婆さんは団子屋の店長で、表向きの私の雇い主。表向きっていうのは文字通りそういうことで、私にはもうひとり真の雇い主とでもいうべき斡旋者がいる。わかりやすくいうと本社があって支店があって、団子屋が支店で私は本社に雇われている、みたいなものだ。
扱いはあんまりよくない。


「休憩入りまーす」
「へーい。いってらー」

客の流れも途切れたので、入口を閉めて看板を休憩中に裏返して、レジ兼配膳係の女の子が休憩に行く。
店の女の子は、端から端まで器量よしが揃っている。私はそこには入ってないけど。入っているかもしれないけど、自分を客観的に見て器量よしだって自惚れるほど世間知らずではないし、なにより出るところが出ていないのだ。
特にこの大穴郡、さらにここ吉岡町では、胸は大きいほどモテるし、腰は細いほど好まれる。男も当然、大柄で筋肉質なほどモテるし、竿は硬くて長いほど好まれる。
つまり本能に正直な土地柄なのだ。

で、そんな土地で若い女の子を集めた団子屋なんて続けるには、見た目に優れてないとお話にならないし、団子屋だけで食べていけるわけもないから、夜になったら酒場で酌をする夜の顔も持っている。だから客の流れが途切れたうちに仮眠を取って、少しでも休んでおきたいというわけ。

みんな必死に生きている。
私みたいに隙あらば部屋で寝ていたい、なんて怠け者は少ないのだ。

「みんなえらいねー」
「そう思うんだったら、あんたも夜も働きな」
「大盛りの肉料理の隣に、冷や奴置いて、さあどうです旦那さま、なんて売る馬鹿いないよ」
自分の胸に手を置きながら店長にそう突っ返すと、そういう物好きもいるんだがねえ、なんて呟くので、そういうのにまで色を売りだしたら商売お仕舞いだよ、とわかった風な口で返しておいた。

事実そうなのだ。赤飯炊く前の小娘とか、病気で鶏がらみたいに痩せた女とか、そんなのまで売り始めたら、色街として収集がつかなくなる。
そうなると毎日が面倒事ばかりで、私らも肩が凝るどころではなくなる。
そう、ただでさえ肩が凝るのだ。
そのことを店長に言って聞かせようとしたら、狙ったかのようなタイミングで入り口の戸を叩く音がする。

ほらね、面倒事のお出ましだ。
店長が紙にペンでさらさらっと注文を書き殴り、私に押し付けてくる。
「9番テーブルに団子セット1人前だよ」
「へーい」
新しい注文が入ったのなら仕方ない。私はエプロンを厨房の物干し台に引っ掛けて、裏口から外に出た。


団子屋は小さい店だ。テーブルは4人掛けのものが4つしかないし、カウンターも4席までだ。だから当然9番テーブルなんて存在しないし、そもそも注文はすべてタッチパネル式だ。

つまり存在しない注文であり、すなわち暗号なのだ。
9番テーブルは標的の種類で、1人前は仕事内容。
色街で娼婦に乱暴を働いたやつがいて居場所を突きとめたから消してくれ、そういう意味。

そして私のもうひとつの仕事は、そういう仕事をこっそり請け負って、こっそり闇に葬る、お天道様の下を歩けないような金払いだけはそこそこの、残りは墨汁よりも黒い仕事なのだ。


現場にはひとりの男が仰向けに倒れていた。そして、ひとりのじいさんが天に向かって拳を突き上げていた。

どういうことだろう。倒れているのは紛れもなく標的だ。
首に棒状の金属片が刺さっていて、そこから噴水みたいに血が噴き出したのか、辺りが文字通り血の海になっている。
じいさんの方は、えーと、いわゆるアレ。
文字にするのをはばかられるタイプの病気のじいさんで、近所の子どもに手作りの手裏剣(鉄で出来てて本気で投げればマジで刺さるし危ない)を配ったり、気まぐれで改造銃を通行人に向けて撃ったりしているけど、なぜか今まで捕まっていない、黄色い救急車を呼ばないといけない種類のじいさん。

自称忍者の末裔で、いつかは人の命を奪うと思っていたけど、まさかこういう形とは。

「しょうがない、とりあえず帰ろう」
たまにこういうこともある。基本的に治安は靴の裏にこびりついた人の糞並みだから、道端に死体が転がっているのは普通のことだ。ポイ捨てされた煙草や放置された空き缶と同じ。
違うのは、さすがに変な病気が蔓延したら困るから、そいつの身内が、身内がいなければ町内の管理組合が焼却処分してくれる点。あとは坊主が念仏唱えてくれるとこも。

「おい、じいさん。とっとと逃げた方がいいよ」
「ひあー! ひあっひあっひあっ!」
じいさんは変な笑い声を上げながら、どたばたと走って消えていく。
さて、私も帰るか。なんて報告しようかな。現場に着いたらもう死んでました、って答えるしかないか。


「ってわけで、現場行ったらそういうことになってた」
「あー、あのじいさんかい。いつかはやると思ってたけど、まさかこういう形とはね」
店長が私と全く同じ感想を発しながら、お疲れさまという意味で茶を入れてくれる。ついでに団子も入れてくれないかな。
「団子は有料だよ」
がめつい婆さんめ。懐に入れた金の重さで、三途の川で溺れてしまえ。

餡子を塗りたくった団子を食べながら毒づいていると、またしても入口の戸を叩く音がする。
なんだよ、またお客さん?
さっき楽した分、もう一働きしてこいって? 嫌だよ、私は団子食うので忙しいんだ。

「もっと働けってことだよ」
そう笑いながら店長が戸を開くと、私よりは年長だけどまだ年若い、ようやく客が取れるようになったくらいの色街の娘が飛び込んでくる。色街の女はひと目でわかる、左手の甲に店の名前代わりの紋を彫っている。

勝手に店を渡り歩かないように、怖い存在をちらつかせることで路地で変な連中に絡まれないように、なにかあった時にすぐに身元がわかるように。それぞれの守りを考えた結果の行き着いた策が、この紋の入れ墨だ。

まあ仮にそれを隠されてても、今回に限ってはひと目でわかるんだけどね。つまり顔見知りだ。
「店長、タマちゃん、おじいちゃんを助けてあげて」
娘は例の頭のおかしいじいさんの孫だ。

去年まで団子屋で働いていて、それなりの年齢になったから酌取りから客取りになった。両親は何年も前に、じいさんを怨む相手に病犬をけしかけられ、きっちりカタにはめられて、たちの悪い伝染病に罹って亡くなった。兄姉も更なる報復を恐れて夜逃げのように姿を消して、今はどこで何をしているやら、といった具合。
まあ、逃げるって言っても、そう広くない吉岡町のどこかにはいるわけだから、払うところに払えば3日ほどで見つかるんだろうけど。

そんなことより例のじいさんだ。孫娘の話では、いよいよやることやってしまったので、被害者の身内のたちの悪いごろつき連中に追われていて、今は色街にある倉庫に隠しているけど、女の力では運ぶことも逃がすことも出来ない状態。

いや、私も女だけどな。

そこで、頼れる身内も友人もいないので、古巣でもある団子屋に駆け込んできた、というわけだ。

「タマモ、なんとかしてあげな」
「なんとかって、人ひとり運ぶんだったら、それなりの金がかかるよ」
「そこはあんた、たまには慈善でだね。神様だって泥にまみれた金よりは清水で洗った銭を好むってやつさね」
「そっくりそのまま返してやりたいね」

店長はただで引き受けてやれという。どうやらこのまま居座られると厄介だって察したらしい。
だけど、私だって金持ちじゃないし、逃がし屋手配してあげる程の蓄えもない。
婆さんが毎回毎回、結構な上前跳ねるからだけど。

「タマちゃん、お願い! 特別にサービスしてあげるから!」
「いらないよ、私は女だよ」
「タマちゃん、おっぱいはね男女関係なく癒されるんだよ」
誰に教わったんだよ、そんな迷信。私を癒してくれるのは甘味と酒と、朝から貪る惰眠だけだ。


ちなみに何がとは言わないけど、一言でいうとふわとろだった。
あれに金を払う野郎共の気持ちが少しわかってしまった。


さて、私は今、自分の部屋にいる。何事にも準備が必要だ、それこそ今回の相手は非常にめんどくさい上に悪質だ。
あの後で色街の事情通に話を聞いたところ、今回じいさんを追いかけているのは、時代遅れな存在だけど反社会的な勢力のヒエラルキーにおいては未だ頂点に君臨するヤクザ、その中でも金よりも保身よりも面子を大事にすることで知られる、超武闘派のどぶ板組の連中だ。
例のじいさんの仕留めた男が、そこの若頭の舎弟だったようで、仕返しのために腕利きの忍者を雇った、ということなのだ。

乱暴者のヤクザと手段を選ばない忍者、この町も騒がしくなりそうだなーと窓の外に目を向ける。

私はこの町が結構気に入っている。
狭くて汚くて治安も悪い、街をぐるりと覆う巨大な壁にはうんざりするし、決まった曜日の決まった時間に降る雨にも飽き飽きする。
毎日どこかで起きてる酔っ払いの喧嘩もみっともなくて恥ずかしい。
でも、この窓から外を見ながら、団子でウヰスキーを一杯やるのがたまらなく好きだったりもする。

「ヘイ、アレキサンダー。雨戸閉めて、ベランダの手すりに電気流して、部屋の壁全部にシャッター。もし誰か入って来たらガス流して。あと私が外に出たら玄関ロックしといて」

もしもの時に備えて、ウヰスキーの瓶や下着、布団、その他汚れたら困るものをすべて押し入れに詰め込んで、天井に仕込んであるシャッターを下ろし、部屋の片隅に残してある筒状の端末アレキサンダーに指示を出す。
アレキサンダーは電気の消灯から湯沸かし、空調のオンオフまで全てやってくれる優秀なやつで、ずいぶん古い時代の型落ちだけど私の部屋には十分すぎるくらい。

「アレキサンダー、中央畳み返し」
「リョーカイデス、ヘヤノチュウオウカラハナレテクダサイ」
部屋の四畳半の半の部分、畳で囲まれた部屋の中心の半端な四角にはめ込まれた畳が開き、がこんと音を立てて二振りの刀が出てくる。
こういう面倒な作業を、畳の縁を傷つけることなくやってくれるのもアレキサンダーの便利なところ。

腰袋の上から刀を二振りとも左の腰に提げ、黒地の狐の面をこめかみの少し上あたりで斜めに被れば準備万端。刀の出番が無ければよし、あったらあったで備えあれば憂いなし。
「じゃ、アレキサンダー。あとはよろしく」
「リョーカイデス」
玄関の戸を閉めたら、中から何重にも施錠される音が聞こえる。これも備えあれば憂いなしってやつなのだ。

「じっちゃん、なんかあったら後始末よろしくね」
「おう、気をつけてな」
隣の部屋に住む同業者のじいさんに一声かけておく。老いてもなお耳疾し、その腕に鈍り無しと名高いじいさんだ。すでに事情を知っているのか、それ以上は何も言わずに部屋の奥から黙って送ってくれる。

そもそも私も完全に巻き込まれた側だ。
なにを悪とするかは人それぞれだけど、少なくとも今回に限っては私に非はない。
「さて、行くしかないかー」
正直乗り気はしない。でも後手に回ると危険が増すだけなので、仕方なく働かねばならないのだ。


「じいさん、迎えに来てやったよ」
倉庫の扉を開くと、鼻を突くような汚物の臭いと目に染みるような刺激が溢れてくる。
中では自称忍者のじいさんが、懐に仕込んだ脇差を握り締めて、狂気をはらんだ瞳で私を見上げている。

「お前もか! お前も孫の友達を虐めるのか!?」
「しないよ、そんなこと。どっちかっていうと、あんたの孫のお友達だよ」
そう告げると、じいさんの中でなにかが和らいだのか、ガタガタの歯を剥き出しにして猿のように笑い、ズボンのポケットから手裏剣を取り出して地面に並べる。

「わしはなぁ、忍者の末裔なんじゃ。忍者は知っとるよな、手裏剣を投げて戦うんじゃ。そうじゃ、お嬢ちゃんにも手裏剣をあげよう」
指先を震わせながら手裏剣を拾って、たどたどしい手つきで渡してくる。
手裏剣はじいさんが鉄を削りだして作ったものみたいで、作りは荒いし重心もめちゃくちゃ、真横から見ると表面もデコボコだらけ、本物の忍者に見られたら怒られるぞ。

それでも幼い子どもは喜ぶみたいで、じいさんの周りに子どもが集まっているのを何度も見たことがある。手裏剣を投げ合って大怪我している姿も何度も見たけど。

「じいさん、危ないから小さい子には渡さない方がいいよ」
「なにを言う。物心つく頃から手裏剣に触らせることで、将来立派な忍者になるんじゃい。わしはな、近所のジャリどもを将来的に自分だけの忍者軍団に育て上げて、いずれはこの町で好き勝手に生きるんじゃ」
子ども好きで良いところもあるのかな、って思った数秒前の自分を引っ叩いてやりたい。どうしようもない気狂いジジイだ。

「いいか、小娘! わしはな、自分の忍者軍団を作るんじゃ! それでな、この町から出てやるんじゃ!」
「じいさん、ちょっと……」
よからぬことを勢いで口走るじいさんを正気に戻そうと、背中にでも一発入れようと思って拳を振り上げると同時に、頭上から黒装束に黒頭巾で背中に小太刀程の長さの直刀を背負った、絵に描いたような忍者姿の男が降ってくる。

「見つけたでござる、自称忍者のジジイ!」
「なんじゃい、この偽物忍者め!」
いや、どっちかっていうと偽物はじいさん、あんただ。あっちも忍者かどうか考えたら、ちょっと怪しいけど。
まず全然忍ぶつもりがないし、正直目立つし。あと忍者はござるとか語尾につけない。
もちろんニンニンとも言わない。

「拙者は伝説の忍者、猿飛佐助の末裔。猿飛忍軍の首領、不見・不聞・不言の三猿でござる! ニンニン!」
いや、見せてるし、聞かれてるし、言ってるけどな。
なんだろう、別に忍者がどう見られようと私の知ったことじゃないんだけど、こんなの(ジジイ)とかこんなの(ニンニン)ばっかりだと思われても困るというか。

「わしは天地神明流忍術の達人じゃぞ!」
そんな流派も聞いたことないし。

もうこんなの助けなくていいんじゃないかなって視線を向けていると、じいさんも忍者もお互いに手裏剣を握り、まあまあ離れた距離からお互いに投げ合い始める。
離れているとはいえ、片やそれなりに修行を積んだ忍者、もう片方は今にも天国行きのバスからも乗車拒否されそうな上に、尻の膨らんだじいさん。あっという間に血塗れになってしまうのは目に見えてる。

まだ怪我が少ない内に止めようと刀を抜く。二振りの刀は、刃渡り60センチの大脇差と刃渡り88センチの太刀。その内の大脇差を抜き、飛んでいる手裏剣を上段から叩き切る。
真っ二つになった手裏剣は、中身のなくなった空き缶くらい軽い足取りで地面を転がり、くるくると回って倒れる。
もちろん狙ったわけではない。完全に偶然の産物。
しかし折角いい感じに決めたのだから、この偶然を利用しない手はない。右手に握った大脇差で忍者を指さす。

「えーと、とりあえずそこの忍者! こっちも仕事だから今日のところは帰れ!」
「断るでござる!」
だろうねー。それもそうだ、こいつも仕事で来てるんだから。


不見・不聞・不言の三猿、伝説の忍者の末裔を自称する忍者で、約30人の下忍を従える忍者軍団の首領。
その名前の通り、見ざる聞かざる言わざるの戦法を得意とし、目潰し・鼓膜破壊・顎砕きと頭部への素早い散らすような指先の技と、拳法をベースにした体術を用いる武闘派。
そのまま格闘家にでもなればいいのに、いわゆるイメージ通りの忍者であることに妙にこだわりを持っているから、中途半端に忍者刀や手裏剣を使いたがる悪癖があり、間合いは本来の最良よりもかなり広い。

もちろん私のような小柄な小娘が、正面から馬鹿正直に挑んで勝てる相手ではない。しかしだ、相手の癖や出方がわかっていれば、賽の目だって簡単に拾えるのだ。

三猿は一定の間合いを保ちながら手裏剣を投げる癖がある。なるべく飛び道具で削ってから接近戦を仕掛けたい、そんな奴生来の慎重さ、もっというと臆病さがそうさせるのだ。

「4丁目15番地前、6の25、開!」
私は地面を踏み、バァンと音を立てて跳ね上がった地面を盾にして手裏剣を防ぐ。
こいつもじいさんも完全に大きな勘違いをしている。忍者を忍者足らしめるのは、なにも手裏剣術ではない。格闘術でもない。
忍者の最大の武器は、地の利を得ることと情報を握ること、そしてどんな手段を使ってでも勝つことなのだ。

「その技、さては忍法・畳返しでござるな!」
「違うけど、そういうことでいいよ」
地の利というのは文字通り、有利になる地のことで、単純には風上だったり坂の上だったり階段の上だったりするけど、突き詰めれば自分が一方的に有利に戦える場所のことだ。

「5の24、4の24、3の23、開」
跳ね上げた地面の板で忍者を四方から囲み、腰袋から火薬玉を取り出して、指先で擦ってひょいひょいっと投げ込む。忍者を閉じ込めた檻の中から、強い光と轟音と煙が漏れ出す。
見ざる聞かざる言わざるを、自分がされてたら三猿の名も形無しだ。
跳ね上がっていた地面がゆっくりと元の位置に戻り、中から頭巾も装束も焼け焦げた忍者が出てくる。もう動けないと思うけど念には念だ。忍者との間にパラパラと撒菱を投げて、飛び掛かってこれないように牽制する。

目も耳も喉も効かない忍者を仕留めるのは容易いけど、やり過ぎると30人もの下忍からの報復を受けるかもしれない。
無駄な争いをしないのも兵法のひとつ。
どこぞのじいさんみたいに、次から次へと手裏剣投げるような真似をしたら、それこそ無駄に命を落としかねない。

「お嬢ちゃん、さては狐じゃな」
「じいさん、私が獣に見えるのかい? いよいよボケちゃった?」


あちこち怪我をして、頭の中で切れてた線でも繋がったのか、じいさんが瞳に正気を宿らせながら立ち上がる。
「50年じゃ、50年忍者について調べてきた。狐狗狸の三忍、一度だけ耳にしたことがあるのを思い出したわい」
「じいさん、それ以上は黙っておいた方がいい」
「この吉岡町を陰で支える忍び、町の外に……!」
じいさんがそれ以上喋ることのないよう、私は素早く刀を抜き、じいさんに袈裟懸けの一太刀を浴びせる。
もちろん軽く撫でる程度だ。逃がす対象を斬ってしまっては元も子もない。
けれど頭のおかしいじいさんを黙らせるには、これくらいのお灸を据えるのが丁度いい。

じいさんも小娘に斬られたのが堪えたのか、おとなしく肩を落として歩きだした。尻が揺れる度に足首からなにか落ちてるのは、ちょっとどころじゃなく不快だけど。

「じいさん、孫も心配してるよ。ほとぼり冷めるまで、色街から出て、どこかで静かに暮らした方がいいよ」
「迷惑を掛けましたな」
じいさんはゆっくりと歩きながら語った。

自分はかつて若い頃に一度だけ本物の忍者と会ったことがある。自分やさっきの男のような我流の者ではない。姿こそTシャツにステテコ1丁のらしくないものだったが、頭に狐の面を乗せて、まるで化かすかのように地を返し、見えない手があるかのように手裏剣を操り、長い太刀と脇差を二本差しにしていた、と。

「ちょうど、あんたみたいな姿じゃった。あっちは男じゃったがな」
「たまたまだよ」
きっとそれは私の養父だけど、言うとまた面倒なことになりそうなので黙っておこう。世の中には隠しておいた方がいいことが沢山あるのだ。

「じいさん、世の中には知らない方がいいことが結構あるんだよ」
「知ったようなことを言うお嬢さんじゃな」
「でも、ちょっとだけサービスってやつね」

背後から満身創痍の忍者が追いかけてくる。さらに前からは忍者刀を振りかぶった忍者装束の男、おそらく奴の下忍の中でも手練れの者。そのふたりに続くように前後から寄せててくる下忍たち。
負けとわかっていても仕事をこなそうとする心意気、そこだけは本物だ。

「2丁目25番地、囲い。私とじいさんは目標から除外」
私の声に反応して、通りの電柱や街灯が口を開く。口の中には棒手裏剣が仕込んであって、それが音の伝わる速さで発射される。
予想すらしない位置から飛んでくる無数の手裏剣、これがじいさんの見た見えない手から放たれる手裏剣の正体。
当然避けられるはずもなく、三猿と下忍たちは次々と射貫かれて地面に転がっていく。

かつて忍者は、忍者が忍者として生きていた時代からずっと後に、手裏剣を持つようになったらしい。そしてさらに後の時代、忍者の代名詞ともなった手裏剣を、今はこうやって手から放して扱っている。

周りの不可思議な状況に目を奪われた先頭の下忍の隙を突き、一気に間合いを詰めて、慌てて振り下ろされた刀を大脇差で受け止める。
落ち着いていたら私といい勝負なんだろうけど、頭がうまく回っていないのなら敵ではない。
「一刀流奥義・石塔斬り」
刀同士を密着させたまま、足裁きと体の捻じりで回転を生み出し、力が逃げないように関節という間接を固めて横に凪ぐ。
下忍の刀はぱきりと折れ、そのまま流れで首を刎ねる。鍔迫り合いからでも相手を斬れる技で、達人ともなると石塔だって斬れると教えられた。私にはそこまで出来ないけど。

下忍の首と背後の忍者の体が当時に地面に伏す。見ていたじいさんの目に、正気だった頃の熱が宿っている、ようにも見える。
「お嬢ちゃん、名前を教えてもらえるか」
「狐狗狸の三忍、狐火のタマモ」
これもちょっとだけサービスってやつ。あんまり喋られたくないけど、どうせ頭のおかしいじいさんの話なんて、真面目に耳を傾ける奴なんていない。だったら少しだけ腑に落ちるくらいに秘密を明かしてあげるのも人情ってものだ。

じいさんは霧が晴れたように瞳を輝かせて、ガタガタの歯を見せて静かに笑い、ずるりと体を斜めにずらして、頭から右腕にかけて地面に落として亡くなった。


あれ? 軽く撫でた程度に斬っただけなのに。
私は腰の刀に目を向けると、どうやら大脇差と間違えて太刀のほうを抜いたらしい。
この太刀、名前を八丁念仏団子刺し。かつて斬られた坊主が八丁の距離を念仏を唱えながら歩いて真っ二つになった程に切れ味の凄い名刀、だとは聞いてたけど、本当にそんなことが起きると驚きを超えて呆れしか残らない。
ちなみに大脇差の名前はニッカリ。笑う幽霊を斬ったとされる、こっちもかなりの名刀。うっかり間違えられるなんて笑い事じゃないけど。

地面に転がるふたつになったじいさんに手を合わせる。
じいさんのことをなんて報告しよう。嘘ついて斬られたことにしちゃおうかな。


四畳半の部屋に寝転んで、肘枕で頭を少し持ち上げながら、ウヰスキーを一杯やってる。酒の肴は団子としとしと降る雨、それに仕事終わりの疲労感。

窓から見える町は今日も狭くて汚くて治安も悪い。町をぐるりと覆う巨大な壁にはうんざりするし、降るとわかっている雨も飽き飽きする。
じいさんがこの町から出たくなる気持ちもわかる。

直径15キロメートルの狭い町、4時間も歩けば端から端まで行けてしまうような狭い世界で私たちは生きている。誰も外に何があるかなんて考えもしない。鳥籠で生まれた鳥は、きっと外の世界なんて知らないし、檻の中で生まれた動物も外の世界のことなんて考えもしない。

けれど、もし1度でも壁の向こうのことを考えてしまったら、きっと知らなくていいことを知ってしまうんだろうな。あの頭のおかしくなったじいさんみたいに。

じいさんのことは有耶無耶にしようと適当な嘘を交えて報告したけど、強欲な婆さんは金勘定も速いけど耳も敏い。
「あんたねえ、うっかり刀を間違えただなんて。まあいいさね、あの子には上手いこと言っておくよ」
そう言って、たんまりと報酬を根こそぎ刎ねていって、三途の川の船賃を増やしていった。

じいさんの孫娘は涙こそ1粒2粒溢したものの、そこはこの町の住人、すっかり気を取り直して笑顔の裏に苦労を隠して働いている。あんまり元気でいられると、私としては申し訳なさが湧き上がってくるんだけど、人のことに文句を言える立場でもない。今回は特に。

隣の部屋のじっちゃんからは、あのじいさんは逃げていても同じことを繰り返していた、誰かが斬って止めてやらないといけなかったんだよ、お前は介錯をしたんだ、だなんて変な気の遣われかたをしてしまった。

「狐狗狸の三忍だなんて偉そうな肩書ついてるけど、別にいつでも捨ててもいいんだよ。お前の生き方を縛るようなものでもないんだ。俺なんて狸の頭目なのに10年以上働いてないんだからな」
じっちゃんはそう笑いながら、私の頭をがしがしと撫でまわして、それ以上は何も言わなかった。

狐狗狸の三忍、この閉じ込められた狭くて汚い町を陰で支え、いつか元の場所に戻れるように余計な雑草を間引く、そんな因果な役割を押し付けられた忍者の末裔。なりたくてなれるようなものでもないけど、かといって気軽にやめるには色んな事を知り過ぎてる。


例えば、部屋は電子制御出来るのに町には電話も車も警察も病院もない理由とか、壁の外には空気のない岩だらけの地面が広がってるとか、空を通り過ぎる流れ星も半分くらいは人間が作ったものだとか、夜空にたまに浮かんでる青い月はほんとは月じゃなくて人間が生まれた星だとか。


「ヘイ、アレキサンダー。地球への帰還方法」
「ヨシオカチョウノチテキリンリレベルヲ」
私は部屋の片隅に置いてある筒状の端末のスイッチを触り、言語モードをロボからニンゲンに切り替える。

「アレキサンダー、もうちょっと流暢に喋って」
「吉岡町の知的倫理レベルを70以上に上げたら帰還可能です。これは西暦3750年に制定された流刑法第3編に基づく条件で、死刑相当の犯罪を犯した重犯罪者の子孫に対する罪の免責、地球での生活を許される知的倫理レベルの到達ラインとして70という平均値が求められます。現在の金星植民地地帯、円環状県大穴郡吉岡町の知的倫理レベルは8、希望的観測を以って算出しても最低でも400年はかかります。ちなみにマスター、狐火のタマモ様の倫理レベルは11。これは反省を一切しないで情状酌量の余地のない死刑囚と同程度です」

「アレキサンダー、他の町の帰還成功率は」
「0%です、現在地球への帰還を果たした者はいません。また町として存続できている場所は、円環状県全体で見たら2%弱です」

「個人単位での壁外へのアクセス方法」
「私たちには権限は与えられてません」

「だったら、吉岡町の管理システムへのアクセス」
「狐火のタマモ様に与えられている権限はレベル1、治安維持のための防衛機能の使用までです。レベル2以上へのアクセスは狐狗狸の三忍には認められていません。これは358年前、吉岡町への流刑時に契約した内容に基づいた制限で、内部からの変更及び書き換えは不可能です」

「アレキサンダー、私が地球に行きたいって言ったら?」
「地道に頑張りましょう」

「寿命が尽きるだろ!」
寝転がったまま端末を蹴飛ばして、寝返りを打って部屋の真ん中で大の字になり、団子を頬張りながら窓の外を見上げる。

もうめんどくさいから寝て暮らしたいって考えながら。


(終わり。地球帰還の日は遠い)

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ちょっと前に書いたものの、内容が道徳にすごい欠けるのでどうしようかなって悩んでた短編です。
忍者の話を書くにあたって、まあせっかくなんで未来の忍者にしようってなって、未来の忍者の手裏剣なんぞや、と考えた結果、こうなりました。
忍者さすが忍者汚い、って感じですね。

狐狗狸の三忍は昔ちらっと書いた二次創作(削除済み)で出した忍者の設定で、それは二次創作なのでファンタジー世界でしたけど、未来世界ではこうなるよって感じで流用しました。
色街に住んで働いてるのもその時の流れの影響です。忍者が隠れ住むのに、わけあり者や事情のある人が隠れながら働きやすいのはいわゆる風俗街とか歓楽街だよね、って流れだったと思うです。


やっぱり道徳心が欠けすぎてるので、どうかなあとか読み返して思ったりするでござる。にんにん。