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55歳の私が若者に何を伝えられるのか(22)「会議には何もいりません」


本日夜、豆本制作に向けたミーティングを行う。県を越えるため、オンラインだ。

昨日のやり取りを振り返ると、

「リーダーではない」と言うまとめ役な人は、会議に向け、何か資料なるものを用意をしたがってる。そう言ってきた。

「会議には何もいりません」
そう心の中で思った。

資料を欲する気持ち。
「取材」という未知なるものに相対するとき、情報を求める気持ちや会議をうまく進めたいという事務局意識も分かる(やっぱ、あの人はリーダーだ)。

その会議に全権を任せられる総責任者(今回は私)がいる場合、資料に頼るよりも、各人が好きに話し合った方がよい。

きっと、よい案や作戦が思い立つ

人の心を意図して誘導するときに、資料は効果的だが、発想を促すときには、邪魔になるときもある。

日本人はただでさえ、フォーマルと多くの欧米人からイメージづけられている。

豆本の発刊は2024年12月。

まだ、たっぷり、時間はある。

今はお互いのことを知る期間に充てたい


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昨日は本学(日本経済大学福岡キャンパス)のイングリッシュガーデンを学生と散歩する機会に恵まれた。

学生は私が顧問を務める学生広報部の活動に興味を持っている。

バラが満開を迎え、生後18日目の白鳥のヒナは元気に池を泳ぎ回る。

市民の見学も相変わらず多い。ありがたいです。

イングリッシュガーデンを併設し、1年を通して無料開放している大学は全国的に稀有だと自負する。

泳ぎ回るヒナ
満開のバラ

学生が嘆く。

「話が長い人いますよね。嫌です。そんな人が会議の仕切りだと、最悪です。何を伝えたいのかまったくわかりません。決めるべきことも決めないで」

なるほど、それはよくない。
きっと、何も決まらない。

自戒。

私はこう答えた。

「文章も取材原稿もまったく同じで、短く簡潔にわかりやすく」

さてさて、
回答になったろうか。

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