美大生の学びの初心

バキバキと脱構築していく学びと悦びの為の学の入門を考える。

脱構築は既成観念の相対化と乗り越えによる可能性の創造だ。過去や未来に目を向けた今ここにありもしない悲しみや不安、武勇伝や自慢は、傍観したり浸ったりする対象ではなく、それを否定せずに意味を見出し建設的な生を想像していくための踏み台とすることが脱構築のための重要な要素である。勉強にまつわる様々な不安やコンプレックスは気にしだすと本当にきりがない。能力が可視化された偏差値や評価点であるとか、どうやっても届きそうにないレオナルドダヴィンチのような天才の存在だとか、日々メディアを賑やかす知的エリート振りのアジテーションだとかは、日々十分に気持ちを浸らせ内省を促し続ける。ネガティブな感情を無視せよ、それを抱えてはいけないという事ではない。そこにとどまり続けることがある種の問題なのだ。

それは相対化し、批判したうえで、次の行先のための飛び石として利用すればいい。日本庭園に散らばる平たい石の連なりが望ましい散策の道筋をさりげなく示すように、路地の蹲踞の役石がそこでの作法を促すように、抱え込んだあれこれについて「ではそれが今にとってどのような意味を持つのか」と問いながら、作庭するように、あるいは七並べでもするように芸術学のフィールドやトピックスを参照しながら配置していく。時に不注意に、多動的に、はみだし、逸脱し、越境する思考も、好奇心と瞬間発火を繰り返すような意欲による駆動力の所業であるとして、まずは生まれたての立つだけで震えてしまう仔馬の様に、あるいは二足歩行を覚えたての赤ちゃんの様に足を縺れさせながら、転んでしまう事なんて考えもせず勢いを活かして門の入り口に滑り込む。とにかくそうやって自分の外側且つ、学問の内側に躍り出ていく。そのような身振り、不意に見つけた何かに近づこうとする衝動に任せて思わず走り出す子供の思考は、判明ではないが明晰であったはずだ。

「どう考えるか」について考えることは存外楽しい。知を愛する=哲学することの楽しみであり、醍醐味である。涅槃経によれば、最上の美味しいところ、乳清の加工の極みが「醍醐味」なのだという。それを学びの悦びに照らし合わせるならさもありなん。学びであれ食品加工であれ、試行錯誤を経た行先で得られるものとは、そのプロセスからの学びであり、結果からのフィードバックであり、それらのどれにしろ行動の結果と反省が豊穣な体験をもたらすのだ。

方法論的な学びはどうだろうか。穴埋めのような想定内・規定された回答が用意されているクイズ問題はインスタントな解題の快楽を得ることはできるが、その快楽は想定内の消費で、出来レースを辿る様であり、観光ツアーでその地を知った気になる様であり、倍速消化したことで映画を理解したと自分を納得させる様である。それら即興的便益はすぐに陳腐化し、後に不便益が必要な場面に出くわす。昭和のクイズブームの時にそういった教育の問題の批判があったようだが今では忘れられたようである。加速する摂取の駆り立てと消化不良の汚物を土台にした議論は、SNSにみられる速度至上主義の嚙み合わないコミュニケーションで明らかなように社会を、自分を、混乱させる。

ヘッセのデミアンに「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという」という印象的な箇所がある。まさしく成長とはどのように長く成るかについての物語である。既成の諸概念を積極的に批判していく破壊は身体的な体現であり、学びの何たるかを象徴している。学ぶこと、創造することは痛みが伴う現状と世界の破壊だ。卵という表象に託された、脆さと移行する保たれが混在する世界があって、そこからの脱出の為の身振りである。破壊し更新してしまう行い=生まれる、生むことであり、それは安住と引き換えに義務的代償をともなう未知への構築なのだ。


学習方法はデカルトの方法序説から参考にしたい。要旨は以下4つの規則からなる。

1,明証的に真であると自ら認められなければうのみにせず受け入れを保留する。

2,理解の状態に合わせて問題を細かく分割する。

3,単純なことからはじめて少しずつ階段をのぼり複雑なものへ至る順序で考える。

4,見落としのない枚挙検討を行う。

ビジネス書界隈でも、批判的思考、チャンク、スモールステップ、MECEなどといわれながらよく説かれる概念なので学び方、考え方のベースとしてしっかり身につけておきたい。また上記のポイントのほかに、批判とは別に道徳的格率は誠実に実行すること、本来的な意味での他力本願、自力の及ばない点は先人から謙虚に学ぶこと。他に旅と対話の中で学ぶことで思考の多様性と強度、現実味を得ることも重要である。

科目履修はなるべく多くの科目を取りたいが、モチベーションの維持と時間の捻出が課題となりそうだ。4年間を走り切るためには勢いに任せるだけではすぐに息切れしてしまう。気合でなんとかすることも大事だが、それでもなんとかならない状態になることも想定される。「タフな学びの胃袋」を育む工夫として、まず生活の中に勉強の時間を埋め込み習慣化すること、例えば交通機関での移動は無条件に本を開き読書をする。そのために本を常に数冊携帯する。少ないステップで取り掛かれるように物理的には勉強机周り、デジタル的にはPC,スマホのデスクトップに勉強に必要な道具を最前面に置いておく。逆に、不必要なものや不用意に意識を分散させるようなものはいくつかのステップを踏まないと使えないようにする。(最近はスマホ依存防止用の鍵付きケースなんてものが人気らしい)。あとは、他者と環境の力を上手く借りることで、より長く楽しく走れるようにしたい。マラソン、トレーニングジム、読書会、勉強会など、思い起こせば継続の重要なポイントには環境の力があった。仲間を作ること、集団的な学びの場や対話の場に赴くこと、実践することによる「世界という大きな書物」からも学ぶことも大事にしたい。

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