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未来のお話

新年を迎えた。

年の瀬になって、急ぎ足でやってきた寒波は あちこちに大雪をもたらしたが、みなさんの街では どうでしたか?

冬が寒いのは毎度のことだが、今回は様々な立場で ホームで またはアウェイで、本当に大変な年末年始を過ごした方も多かったと聞く。

感染者を受け入れている医療機関では、ウィルスとの戦いが ずっと続いている。緊張が途切れないしんどさは 経験したことがない私の想像を はるかに超えるものだろう。

今はまだ 素晴らしい解決策はない。根本原因を除けない中では、深い霧の中を歩くように 五感を研ぎ澄まし、一歩を出すか出さないのか それぞれが自分を守るために自分で決めるしかない。主体的に動きをスローに、

或は 立止まるしかない と思う。時間も、周囲の景色も流れていく中では、 取り残されると感じるかもしれないが、目を凝らしても まだ 前方に明りは見えない。

収入が途絶えたり、大きく減る場合は 生きていくため、事業を継続させるため 援助を受けるのは当然だ。いい制度があっても そこに辿り着けない人もいる。寒さの中で 困った顔をしていないけど 困窮している人がいるかもしれない。体調が悪いのに 誰にも相談できないということもあるかもしれない。

保健行政に携わる人々も スーパーマンではないから 全てを網羅することはできない。

サインを受け取れるように 

薬局のおばさんの私は「なんでもお尋ねください」って顔で日々カウンターに立とう と思う。

知らないことはその都度調べたり、別の方に繋いだりすると思いますが、その点はご容赦ください。

木陰の空

「安定と不安定」

もう解散してしまったが、私はoasisが好きで ベタですが「Whatever」は特に好きだ。「I'm free」何であれ どんな時も。おれも おまえも。「I'm free」それは スターの境地かもしれないが、今 私たちが接触しないで距離を保つ状況も「I'm free」といえるかもしれない。

粒子間の相互作用が働かない距離にある「自由」な粒子どうしが それぞれにエネルギーをもって 容積が膨らんだ不安定な状態。距離が保たれ 粒子は更に自由運動を行うために、全体が抱え込んだエネルギーも大きくなる。

粒子相互に力を相殺し、引き寄せ 距離を縮めるファクターが働くと安定に向かうだろう、粒子では、の話。だが AI目線、未来目線とも言えなくもない。

今の私たちの状況では、人同士が相互の距離を縮められない。zoomもビデオ通話もあるのだが、少なくとも心の中には、不安定さが在り続けるように思う。

「我慢の3週間」というフレーズがあった。

我慢するのは、宴会か?いわゆる「夜の接待飲食」か。過ぎてしまったことだが「経済を回す」と「出歩くな」の両立は難しい。

なぜ動かない方がいいのか、についてはこれまでにも説明されてきた。逼迫した医療現場の状況も皆理解しているだろう、でも、私達は なぜ集まりたいのか。

動くことができる自由なエネルギーを使って、安定しようとしているから。「個」の不安定を解消しようとする「動き」なのではないか。

「我慢する」とは 距離を縮めないことであり、いくらかは不安定であることを受け入れること

専門家の方々の 様々なご意見やその根拠も提示され、報道もされ、ここにきて 感染対策にかかる重要な政策も決定された。あっちを立てれば、こっちが引っ込む難しいかじ取りだ。関係者の皆様のご努力には心から敬意を表したい。まだ続く道のり、休めないかもしれないが どうか体に気を付けて頑張っていただきたい。

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先日、イタリア在住の作家 塩野七生さんが インタビューに答えていらっしゃるのをテレビで拝見した。

「私たちは 自由を失ってはならない。自由であるからこそ 前に進める。」

とくに、西洋史に造詣が深く、歴史が語る人間の本質を描いた著作が多数あるが、インタビューでは、我々日本人は、ペストと戦ったベネチアの人々の知恵に学ぶことができる、コロナ禍は きっと乗り越えることができる、と話されていた。

人々を率いるリーダーが、「何であれ政策にはリスクがあるが「今の最善の策である。」ということを力強く説明しなければならない。」とも。

不安はあるとしても、我々は、一定期間「離れる~隔離される」ことで自由であり続けることができる。生きていくことができる。そうすれば、またいつか 引き寄せ合う力で安定し、本当に寄り添うことができるだろう。

塩野さんのお話は、過去の遺産とつながった 未来の希望だと思った。

「Whatever」の歌詞で、「見せられているものを見ているに過ぎない」というのがあって(勝手な意訳です)、この言葉にも 考えさせられる。

私たちが見ることができる、認識することができることは、とても少ない。自分のことも自分の目でみることはできないし、自身の中身だって知らない。1秒先のこともわからない。

不安は いわば陰だろうか。存在の証のようなものかもしれない。

青空とせんだん

自分を労り 心のなかの自由を楽しみ、霧が晴れた 少し先の ザワザワした未来を待っていようと思います。

若い皆さんは、色んなニューノーマルを生み出している。こちらは、教わりながら、一歩ずつ ゆっくりと未来に順応していきたい。

年頭ですが、さっそく先の話を致しました。

これから数日は、雪予報です。皆様暖かくして お過ごしください。

お読みいただきありがとうございました。

おさんぽでした。