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猫被らない、背伸びしない

こんにちは。おさんぽです。

前回の投稿で、私のオリジナルな転職について書きました。

移ってまだ2年に満たない職場を退職する、ただの迷惑な人なんですが、私にとっては 簡単ではない転職だったという話でした。

十分考えて、リスクをとったつもりでもうまくいかないこともある。結果を受入れた、と言えば聞こえはいいが、放り投げて去るわけで、非難は免れえない。しかし、それを経なければ先へは進めない。
ほぼ老人で、わざわざ転職何回もして、こんなnote書いてる人もいますが、できれば 就職 転職はうまくやりたい、ピンポイントで辿り着きたいもの。

今回のnoteでは、
①転職について おさんぽの自論
②参考になるかもしれない情報 猫被らないで、という話
③今思うこと
などを またも 順不同でぶち込んでみました。

お時間ある方で ある意味モノ好きな方、ご参考までに。

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「もし、転職するなら」
理想としては、穏やかに平らかに、周囲の理解を得て 十分な期間を経て 確実に次のステップに進みたい。自分にとってはプラスであると信じることができないと、エネルギーを注ぐことができません。周囲への影響も考えなければならないが、最も重要なのは 前進を目指すことだと思う。
衝動的でない分、前段階として 現状と課題の分析や考えを整理する時間が必要で、自分で納得しながら 道を作っていかなければなりません。周りも巻き込むので 責任を伴いますが、うまくいく確率は上がる。

よしんば上手くいったとしても、状況は刻々と変わりますから、柔軟に適応することになる。その結果、自分も変わっていく。当然 考えも変わるかもしれない。
変化していく部分がある一方で、より安定し、ゆるぎなく固まる部分もあるだろう。
職に就くことは、ひとりの人間として 生きていくこと。だから変化と安定のバランスをとる必要がある。
その仕事で、生きる礎となる安定した収入を得ることができるか、まず考えなければならない。その上で、仕事について考えなければ当たり前に、どこかで行き詰まる。
待遇はもちろん、
適性、好き嫌い、向き不向きといった「側面」はそれ故 重要となります。
しかし、多分に
タイミングというか、運もありますよね。出会いだったり、気づきだったり。
その「時を得る」感覚 は逃さないほうがいい。ピンとくる感覚。これは鈍らせないで持ち続けること、いくつになっても。
"仕事の流儀” の主役は張れない、一般人の場合でも これは、というタイミングはある。そうそう、と思い当たることがあるのではないでしょうか。
それをスルーするのは、敢えて動かないか、理由があって動けないか。
まだまだ未熟だから、あるいは年を取りすぎているから、あれやこれや、と一旦考えるのは大切だが、機を逃さない勇気は持ちたい。
固まり過ぎず、流動的すぎず。
気持ちが沈んで 自信を失っていると 心も体も動かせなくなる。
心と体が熱すぎず、冷静な判断ができる元気な状態であれば、うまく潮流に乗れるのではないか。

「私のコンプレックス」
私おさんぽは、いわゆる「自己肯定感」に乏しいひとです。60年近く前、この世に生まれた時から規格から外れていました。今ではあまり大きな問題にもなりませんが、未熟児で誕生し、おそらく助からないということで母は私を見ることもなく一切抱かず、それでも保育器からカムバックし今に至ります。母は私が生まれる前に死産を経験しているので、病院がそのように配慮したということはあると思います。成長過程でも大人になっても、小さかった、とか持病があるとかそういうことをとにかく隠す。「変わっている」点はあってはならない、周囲の人と同一であること「人並み」をひたすら目指していました。
それは、とりもなおさず 親の望みでもありました。できそこない なわけですから、人並みで十分すぎるし、高すぎる目標などムリムリ、いらんよ、と。まあ、昔のことで、そのように女子を扱っていたこと自体は珍しくありませんでしたけどね。
そのような背景があって、私は自分のことが 長らく よくわからない状態でした。自分に本当の願いはあるのか、もしそれがあったとしても、ゴミ箱の底の方に丸まっている状態で、見えないし 認識できない。そのため 進学も勧められるままに。いわれた通りにすればできる仕事だから、と薬学部に入り、薬剤師となりました。当時の院内薬局では本当に言われたとおりにやる、ことを求められ、たとえミスが起こっても訴えられることもない、実質的には責任すらない立場でした。実は、高校時代の私は、物理も化学も苦手で、数学が多少好きなだけでしたので、在学中も自分の適性に疑問を持っていました。それで、病院に勤務するのはやめておこうと考え、企業に就職することにしました。そして、社内結婚をして退職して、自分も小さな赤ちゃんを産みました。

「猫被らず」
結婚した、と書きましたが、ちょっと補足。両親は反対しましたが、結婚しました。反対の理由は、簡単に言うと 夫がただの平凡なサラリーマンで、気に入らなかったから。人並みなのか?人並み以下だ、ということだったのかもしれませんが、私は譲らなかった。それは、できませんでした。
結婚を反対されて、実家を離れたことは 今思えば 良かった。それでも実家と縁を切ったわけではなく、子どもが生まれてからは、年に二回必ず家族みんなで訪れました。
私は二回出産しましたが、二人とも低体重でした。小さな赤ちゃんですから、生まれてすぐ保育器に入れられました。私の両親は、がっかりし、やはり出来損ないだからと思っていたようですが、主人の母は、寛容なひとで「気にせんでいい。大きく育てればいい」と言っていました。残念なことに上の子が二歳の時に(もうずいぶん前ですが)亡くなりましたけれど、時折
素の自分になったとき、心の中で話しかけています。
両親と距離を置くようになっても、染みついた習性は恐ろしいもので、自分と子どもが普通らしく、人並みでいることにのみ 注力していました。PTAでも保護者面談でも、パートの面接でも猫の被り物はかぶったまま。もう、一体化してしまって、被っている気がしないのですね。 
二人の子供は、有難いことに無事成人しました。転勤や転居、病気を経験し入院したりもしましたが、私は基本、家の近くの薬局で 家計の足しに、とパート勤務をしてきました。勿論、猫被ってます!私、適性ないんですけどなんて言わず、しれっと務めていたのですが、下の子が進学で家を出たことで私にも大きな変化が起こりました。

単純に自分の時間が増えた。何をしていいか分からず、最初のうちはひたすら縫物をしたり、嫌がられつつラインしたり。それも持て余し、ちょっと研修に参加して、認定資格でも取るか、ということで色んな研修会に参加するようになった。そのうちに、自分のアイディア、独自の考えのようなものが浮かんできた。息子が一人暮らしをするとき、一番心配だったのは、体調を崩した時の対処。だから、身近な薬局で若い人たちの見守りが出来たらいい、私も安心だと考えた。薬事にかかる法律やシステムはどんどん変わっていくので、それについて調べたり、NPOを作って活動している薬剤師さんに触発されたり、認定資格も取って 私は徐々に変わった。積極的に社会に参加してみようと考えるようになっていた。独自の考えをすぐに形にすることはできなくても、一般的ではないから、普通でないからと自分らしさをひっこめなくてもいいのではないか。 猫被らず、できないことはできないと晒していい。受け入れられなくてもそれはそれでいい。そこから、前の転職があり、今回の転職になったわけです。スタートラインまで来るのに50年以上かかったんですね。コロナの流行が始まったころ、ブログをはじめました。転職してもやはりなかなか思うようにいかなかった中で、個人で発信しようと試みたモノです。

今は、ブログの更新はしておりませんが、また追々、と思っています。
そして、更に ご参考までに とご紹介するのは、パナソニック公式noteの記事です。自分が何かもわからずにきた婆さんにとって、ダイバーシティとインクルージョン、、夢のようでもありますが、若い人たちには、ぜひ自分を丸ごと許容して、前進するために いろんな方法で自分を知る努力をして頂きたいと思います。

「今 思うこと」
仕事に限らず、色々考えてやっても、思っていたように運ばない、予期せぬことが起こったりすることはある。あまり焦らず、少し様子を見たり、何とかなる、と大きく構えることも大切だろう。窮すれば通ず、というではないか。
しかしながら この度のコロナ感染においては、少なくとも上手く通ずるようには見えない。
誰かが、直ぐに どうにかできることではない。いい兆しが少し見えたとしても、一気に崩れ去ってしまう可能性もあるのだから。
自分の生活を守らなければならない。生きるため、公助を利用することはいいことだ。そのために 税金をみんなで納めている。大きな波に抗うことはできないが、大きな波は社会をどんどん動かしている、とも思う。
こんなときこそ、自分らしく考え、自由に成長できるかもしれない。
勉強し、視野を広げる時間がある。これまでの失敗やできなかったことにこだわることはない。
少し前の評価など 意味をなさなくなっていくかもしれない。

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若い(若くなくても)みなさんなら、きっと乗り越えられる と思いますよ。私もがんばります!

お読みいただき ありがとうございました。
おさんぽでした。