見出し画像

オルタナティブな私の人生 原体験と仕事リレー#2

こんにちわ。ゆかんこです。
今週のテーマは「原体験と仕事リレー」

高卒で行政書士を取得し、大手監査法人で勤務したのち、一念発起して子どもたちに自然体験を提供する会社を立ち上げた私・・・変容の多い人生を過ごしております。

そんな今の仕事にも繋がる原体験は3つ
それらを一つ一つ思い返してみます!

モンテとマリアと私

子どもが生まれたとき、絶対にこの子は幼稚園に行かせたい!と思った。出来たら、キリスト教系の幼稚園。今の私があるのは幼稚園のおかげ・・・そんな思いが私は、ものすごく強い。

両親が飲食店を営む私は、家から近い私立の幼稚園に2歳のころ(年少の1つ前)から通っていた。ほんと、たまたま家から近くて入った幼稚園だったけれど、制服も可愛いし、園舎もそれなりで、園長、副園長はシスターだった。カトリックの園で、園舎の前に立つ真っ白なマリア像に手を合わせる毎日。黒板の上には、ブロンズで出来た小さな十字架に張り付けられたイエスが私たちを見下ろす。クリスマスが近づくと、園内に小さなキリストとマリア、動物たちの人形が飾られ、12月25日には年長さんがイエスが生誕した日を劇で披露した。

私は、この園での生活を思い起こすと、暖かで明るい光を心の奥に抱くことが出来る。理由もない幸せが湧き上がるのを感じられる。

両親が忙しい日々を過ごしていたので、私は、特に幼児教育やしつけを強く受けることもなく、園では大分ダメな子だった(笑)聖書の時間になると昼寝する。同性の子と仲良く出来ず、男子とばかり遊んでる。小学生になる目前になっても字は書けないし、読むのもあやしい・・・

そんな私だったけど、自分を卑下することは全くなかった。

「ゆかちゃんは、ゆかちゃんらしくしていればいいの。あなたの存在自体に特別な価値があるの」

そんなメッセージを、いつでもシスターたちから受け取っていた。
両親も園の先生から、昼寝しちゃう等の報告はあったようだけど、「寝ちゃうんですよ~アハハ!」程度のものだった。

幼児期の大切な時間に、私の自己肯定感をめちゃくちゃ上げてくれた幼稚園。あんな幼稚園に通わせたいなと、あらためて調べてみると、モンテッソーリを実践している幼稚園だった。

そう言えば・・・モンテの教具が並んでいた気がするし、生活の中の仕事を重んじるモンテッソーリの園らしく、教室に果物ナイフとリンゴや、針と糸、ゴマとゴマすりが普通に置かれていて、休み時間にゴマをなめるのが大好きだった。

カトリックの礼節に厳しいけれど愛に溢れた教えと、モンテッソーリの深い愛が融合した素晴らしい園だった。

ちなみに・・・字も読めない、足し算もままならない状態で小学校に入学しましたが、むしろ小学校での勉強デビューが面白くて、面白くて、授業が楽しくて仕方がなくて、あっという間に優等生。だから、幼児の早期教育は、意味がないことだと考えています。

裏山と幼馴染と私

小学生になって、千葉の香取市から成田市に引っ越しをした。引っ越し先は、市街地に近いが、子どもが遊ぶには丁度良い雑木林と田園があった。
小さな住宅街では、友人たちにも恵まれ、3歳上から1歳下までの異年齢の中で子どもだけの時間を存分に楽しむことが出来た。

昨日のあきこさんの記事にもあったけれど、私たちは子どものころ大人の監視の無い中で遊ぶことが中心だった。


「子どもは子どもの中で育つ」という言葉がものすごくしっくり来る。お兄ちゃんお姉ちゃんに色々な遊びやルールを教わり、年下の子とケンカしながら大切なことを学んでいった。

休みの日は、朝からみんなで集まって、今日は何して遊ぼうか?と相談して、1日中、遊びや冒険に費やした。大好きな竹林の中に秘密基地もつくった。流星群の時期には、夜に集まってコンクリート道路にシートを拡げて、みんなで寝転がって星を眺めた。田んぼには、まだホタルが飛んでいたし、花を集めて色水をつくったり、おしろいばなの実を集めてお化粧したり・・・たくさんの遊びに囲まれていたけれど、一度も大人のレクチャーを受けたことはなかった。

みんな子どもから子どもへ伝達された遊びだったし、ときには新しい遊びをつくりだすこともあった。

ものすごく自由で闊達でクリエイティブな日々を過ごしていた。

道路に、かんしゃく玉を置いて、たまに通る車を驚かせたり、家と家の隙間に隠れたり、ゴミになっていた畳を森まで勝手に運んだり・・・たくさんのイタズラをしたけれど、今思うと大人たちも寛容だった。そして、時にはカミナリを落とされた(笑)

今の子どもたちの現状から見返してみれば、まるでSF映画のような世界。子どもだけの惑星が、地域の中で繰り広げられていて、独自の社会がつくり出されていた。

幼稚園でつちかった感性と好奇心、気ままさを存分に発揮できる恵まれた環境だった。

家族と私

先述したとおり、家族は小さな飲食店を営んでいた。父方の祖父と祖母、父と母、そして私の5人家族。明日、生きていくのにも精一杯といったような家だったので、私の教育やキャリアについては、みんな大して興味を持っていなかった。

学期末に体育以外オールAの通知表をウキウキとランドセルに忍ばせていても、誰も通知表を見せろと言わない・・・

100点のテストを見せても「さすがだね~」と言われるだけだし、たとえ点が下がったとしても「そんなときもあるよね~」といった具合。挙句の果てには、私の方からドリルを買って欲しい。もっと勉強したいから塾に通いたい。と頼む始末だ。しかも、お金がないからと渋られる・・・

「勉強しなさーーい!!」

なんて一度も言われなかった。でも、優等生。面白いから勝手に勉強して、勝手に将来の夢を描いて、勝手に高校も決めた。最終的には「お金がない」という大きな壁にブチ当たり、大学に入れず腐った日々を数年過ごすことになったし、大きなコンプレックスも抱えることになったけれど、「自分の道は、自分で選んできた」という自負があるし、今も自分の道を切り拡げ続けている感覚が強い。

オルタナティブなわたし

幼児期はモンテとマリアから、無償の愛を受け取り自己肯定感を育み、小学生時代は小さな身のまわりの自然の中で、子どもだけの自由な時間を過ごし、両親はアドラーなみに褒めない。叱らない。

あらためて思い起こしてみると、私の日々は、ものすごくオルタナティブ教育に近いことが分かった。だから、オルタナティブ教育の本や現場での実践を聞くと、納得できる部分が多いんだなぁ。

そして今、子どもたちに自然の中で過ごして欲しいと願い、㈱OSOTOを立ち上げ、地球の学校をスタートした。目指しているのは、誰の監視も無い、対等で自由な世界。そんな自由を、しっかりと楽しむことが出来る子どもたち、そして大人たち。自分自身を知り、自分らしさを表現できる人が地球の学校から育っていって欲しい。

「人生を思いっきり楽しむこと」が出来るように、私自身の学びと実践もずっとずっと永遠に続いていく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

-profile-
なまえ 渡部由佳(わたなべゆか) https://note.com/yukanko_osoto
こども 檜原村の森のようちえん(やまっこかわっこ)に通う3歳の女の子
しゅみ ボディボード・キャンプ
(株)OSOTO 代表取締役社長・カメラマン
行政書士として監査法人にて法務コンサルタントを行なっていたが、妊娠出産を機に退職、2018年1月、baby、kids、family専門フォトスタジオをオープン。幼少期はキャンプや海遊びで自然の中で過ごし、20代から趣味の波乗りを通じて多くのことを学んだ経験から、自然の中でこそ本当の自分、本当の笑顔に出会える。ということを多くの子供達へ伝えたい!と2018年株式会社OSOTOを設立。探究×自然体験をテーマに檜原村にて「ひのはら地球の学校」を運営する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?