私のダンナ、義足です。
義足を初めて着けて、もうすぐ2年になるダンナさま。今では長いパンツをはいていれば義足とはわからないくらい・・・ちょっと足が悪い人なのかな? 程度の感じで歩けるようになった。
左脚を膝下から切断した病院に2ヶ月、ここでは左脚が無い状態でもできるリハビリを行い、その後リハビリテーション病院に移って2ヶ月。リハ病院に移った頃は、今度どうなるもんかと不安だったが、2ヶ月みっちりリハビリしたおかげで何とか歩けるようになった。
家に戻ってくれば日々の動きがリハビリみたいなものなので、毎日動いているうちにカラダも慣れ、落ちていた筋肉もつき、義足がだんだん自分の体の一部になってきたのかもしれない。手術を終えて、断端(脚の切断面)を見るのに最初は気合いが必要だった私も、今では毎日断端チェックすることが当たり前になってきた。ふたりともそれなりに成長したのだなあ。
そんなわけで、義足生活にすっかり慣れたダンナである。私ですら、たまに夫が義足であることを忘れるくらいだ。
だが、入院中にはこんなこともあった。
手術した病院にまだ居る時、当然左脚は切った状態のままで包帯だけが巻かれている。ある日、1階にある人工透析室に行くため車椅子を自分でこいで廊下を移動していたダンナ(もちろん看護師さんも付いていた)。彼の場合、その頃から左脚が無いことを隠そうという意識がまったく無かったため、病室を出る時もタオルやひざ掛けなどはかけずに車椅子に乗っていた。すると、廊下を歩いてきたご老人(男性)が、すれ違いざまにこう言い放ったそうな。
「うわあ、かわいそう。ああは、なりたくねえよな」
これに対してダンナが車椅子の上から何と言ったかはココでは伏せるが、私としては・・・まあそういうことを言う人も、まだまだいるんだろうねえ・・・という感想であった。
そりゃ確かに脚を切断するのは大事だ。何気なく目をやったその人に脚が無かったら一瞬「えっ」と思うだろう。思わず目を背ける人もいるだろう。そういう人たちをどうこうは思わない。仕方がない部分もある。
でも、義足ができあがって訓練をすれば歩けるようになるのだ。ドクターも看護師さんも、リハビリのスタッフも、みんな「少しでも歩けるようになるため」一生懸命やっている。
「ああは、なりたくない」そりゃそうだ。好き好んで脚を切断する人なんて居やしない。でも、すれ違いざまに吐き捨てるようにそれを言っちゃう、言ってしまえる人の方が、私から見れば「かわいそう」。
もちろん、病棟という場所なのでそう声に出した本人も、何らかの病気で入院しているわけだ。苛立っていたのかもしれない。何かイヤなことがあったのかもしれない。と思えばそんなに腹も立たないのだが、なるほどそういう人もいるのねという。
退院後も、義足の金属むき出しで半ズボンで歩いていると、見られてるな~と感じることはあった。子どもだと目線が下なので、思いっきり義足を凝視する子もいる。これもまた、仕方がないこと。
でも、義足であることが今の彼。ついでに左腕にシャントがあるのも今の彼。見た目で何を言われようとどう思われようと、このカラダで生きていくダンナ。支える妻としてはあまりにも頼りない私だが、なんとなーく支えていくのが私の役目なのだ。
さて私のダンナ、義足で透析患者である。義足にスニーカー履かせてシャキシャキ歩いている。割と好きなものも食べている。ゴルフ再開に向けて風呂でスクワットも始めている。人生100年ほど長生きはできないだろうと自分では思っているが、生きている間はちゃんと生きようとも思っている。
それでも「かわいそう」ですか?
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