大学院に行くけど将来どうしたいとかは、ない
今年4月から大学院に進学することにした。社会人が多い専門職大学院だ。
この話をする「どうして今から大学院に行こうと思ったの?」と質問を受けることが多い。
行くと決めたのには色々な理由が重なっているので、全部は伝えられず、何となくその人が納得してくれそうな話をする。すぐに納得してくれなくても、もっと話を聞いてくれる人ならば、次から次へと理由を話すので、いずれ納得してくれる。聞いてくれてありがとう。
この質問は答えられるから良いけど、一番困る質問が「将来どうなりたいの?」である。
その質問に関しては「特にないんですよ」と答えている。相手は分かりやすく「???」という顔になり、「じゃあ行かなくてよくない?」と追い打ちをかけてくる。
いや、言いたいことは分かります。そんなに大金を払って、時間までかけて、自分から苦しい2年間を選んで、将来どうしたいの?と気になるのだろう。ありがとうございます、気にかけてくれて。
ただ本当に、正直に、「ない」のです。
(これからこのnoteで大学院の記録とかしようと思っているし、いずれ大学院で知り合った人もこのnoteを見るかもしれないから心苦しいけど・・・)
将来を決めて進むよりも、「今こうしたい、していたい」の連続が将来に繋がっていると考えることが多い。だから決めた時点ではどこに向かうかなんて、自分自身だって分かっていない。
でもそれでいいじゃない!と物申したいワケです。
ゴールや目標が決まってないけど挑戦する、という人間だっている。それで他人をとやかく言う(心配してくれているのは有り難い)よりも、「そういう人もいるんだなー」くらいに思ってくれた方が良かったりする。
その距離感を「やさしさ」と呼ぶこともある、と『ちひろさん』を観ていて思った。
元風俗嬢で、今はお弁当屋さんで働いているちひろさんの周りには色々な人たちがいる。ホームレスのおじいちゃん、母子家庭の小学生、クラスの仲良しグループに合わなくなってきた女子高生、入院中のお婆さん・・・。ちひろさんは彼らに分け隔てなく接していて、誰に対しても優しく接して、彼らの心を豊かにしている。
ちひろさんが話す言葉には不思議な魅力があって、その中の一つに働いていた風俗のお客さんが教えてくれた話のエピソードがある。
分かり合えないのが当然。それを冷たいと思うのでも、淋しく思うのでもなく、だからこそ相手の考えをそのまま理解する。否定するでも同調するでもなく、そんなアナタと私でいること自体が「やさしさ」でもある。
多様性という言葉が広がってきて、目に見える違いは大分理解されるようになったけど、目に見えない考えの違いはまだまだ理解されないようにも思う。
大学院に行ってまだ1週間ほど。まだ全然知らないけれど、色々な人たちが通っていると感じている。大学院にもきっと色々な星からやってきた人がいるだろう。その中にもしかしたら、同じ星から来た人もいるかもしれない。
困ったことがあったら、またちひろさんに会いに行こうと思う。
文章:真央
編集:アカ ヨシロウ
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