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見守りロボットに感情はいらない

駆け出しのライターとして出会ったメンバーたちが、毎回特定のテーマに沿って好きなように書いていく「日刊かきあつめ」です。

今回のテーマは「#こんなロボットがほしい」です。

ロボットと一緒に暮らす未来がすぐそこまで来ているらしい。それに伴って「ルールや倫理観をどうするのか」なんて議論を目にすることも増えた。

個人的に、ロボットを人間に近づける必要はないと思う。ロボットは決められた用途を実行する「ツール」で良いのではないかと。

これまでに「こんなロボットが欲しい!」と思ったことはない。だから、これからの人生でどんなロボットが必要になるか考えてみた。

一番に浮かんだのは「見守りロボット」だ。
今でも色々な見守りロボットが発売されているが、思い描いているのは小学校低学年くらいを対象にした見守りロボット。

子供を少し離れたところから見守っていて、危険を察知したら子供を助けて、すぐ親に連絡が入るようなロボットである。
「少し離れたところ」というのもミソで、付きっきりのロボットでは子供の自助が育たない。多少の危機は体験した方が、心も身体も逞しく育つ。子供にも親にも良い環境を作れるロボットだ。

「子供から少し目を離した隙に・・・」と痛ましい事件はいつになっても後を絶たない。
親のせいにする輩もいるが、現実問題ずっと見ているなんて不可能だし、親もひとりの人間だ。疲れもするし、やりたいこともある。
見れない時はロボットが見てくれるから安心、という世界が出来て然るべきではないか。
子供の安全を見守るロボットは、国家レベルで取り組んで良いプロジェクトだと思うのだが、お国の皆様いかがでしょうか?

「それなら、ベビーシッターを頼んだら?」という意見もあるかもしれない。僕も最近まで思っていた。しかし人ではなくて、ロボットが必要だと思ったのは、『ミッシング』という映画を観たからに他ならない。

あらすじ
とある街で起きた幼女の失踪事件。あらゆる手を尽くすも、見つからないまま 3 ヶ月が過ぎていた。
娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。
唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。
世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。
一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。
それでも沙織里は「娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続けるのだが・・・。

(ネタバレ含みます)

予告だけで心が痛む映画だが、見終わったあともスッキリするわけではなく、心のやり場に困った。
この映画をミステリーだと思って観ると肩透かしをくらう。失踪の原因や謎の解決が大事なのではなく、起きてしまった事件に対して、それぞれの目線でどのように直面するか、という感情にフォーカスされているからだ。

様々な感情が交錯する中、母の沙織里は一貫していた。失踪当日に娘と直前まで一緒にいた弟を、そして娘の近くにおらずアイドルのLIVEで楽しんでいた自分を、責め続けることでしか、自分を保てなくなってしまうのを見るのは辛かった。

人間には心があるから、絶対的な悪もなければ善もない。その曖昧な状況の中で、誰かに原因を求めなくては自分を保てない悲しみにもある。しかし結局は自分を責め、心は壊れていく。
もし娘の面倒を見ているのがロボットだったら。疲れもせず、他の事に気を取られることもなく、娘をずっと見守っていただろう。

しかし何より、ロボットを活用する一番のメリットは、責任の一端をロボットにできることだと思う。
責任をすべて人に求めてしまうと、それぞれの感情が堂々巡りをして、全員が疲弊してしまう。そこに一つロボットが入ることで、感情の流れを止めてくれる。「ロボットのせいだ」と頭を少しよぎるだけで、救われることもあるのではないか。

ロボットと暮らす未来といえばドラえもんを思い描く人が多い中で、こんな非情なことを考えてしまう。「ロボットに感情はいらない」と思ってしまうのは、心の何かが"misssing"してしまうからだろうか。

執筆:真央
編集:アカ ヨシロウ

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