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美しく見えると若く見えるは別の話で

「美しくありつづけたい」と努力することは素敵なことだと思う。美しさの定義とか一旦横に置き、おおむね世間で言われる「美容」に力を入れることには賛同できる。

ただなんとなく「アンチエイジング」という考え方にはちょっと違和感があって、美しく見えることと若く見えることは別なんじゃないか、というのが今回のお話。

美容整形外科で働く子が「自分が美容整形をしたいとは思わないけど、キレイになることで自信をつけた患者さんを見ると、良いことだと思う」というような話を教えてくれた。

たしかに、美容の目的は、若く見られようとすることではなくて、自信を取り戻すことではないかと思う。自信を身につけて新しいことに挑戦したり、これまでより笑顔が増えたり。自信を取り戻していくことで、結果的に若々しく見えてくる。

それでもやはり「若さを保ちたい」という美容ニーズは一定層にあるわけで。世にいう「美魔女」と呼ばれる人たちに憧れて、とにかく若々しくいられるように日夜努力している人もいる。

彼女らのように年齢を重ねても美しい見た目だったら、若く見えるのか?というと、どうやらそうではないらしい。『アデライン』という映画を観るとそんな気持ちになる。

奇跡的な事故のせいで年を取らなくなってしまったアデライン・ボウマンは、100歳を超えているのに29歳にしか見えない。
若くありたいと願う女性からしてみると、夢のような身体である。

しかし彼女はその怪しさから政府などの研究機関に目を付けられてしまうことを恐れ、10年ごとに名前も住所も変え、新しい人生をスタートさせて70年近くを生きている。自分の娘もすっかり老人になってしまい、たくさんの愛犬たちが先に亡くなっていく。

アデラインは美しく見える。道端ですれ違ったら思わず振り向いてしまうだろう。が、若くは見えない。振る舞いや会話の内容、トーン、そのすべてが他者を寄せ付けず、自分の殻にこもっているように見える。
それはきっと数奇な自分の人生を諦めてしまっているからで、人間100年も生きていればそうなるのかもしれない。

そんな時にとうとうエリスという男性と出会う。最初は他の人たちと同じように拒絶する態度を取るのだが、素敵な彼のアプローチによって次第に惹かれるようになる。そして次第にアデラインのすべてが生き生きとしてくるのだが・・・・・・

美しさと若さとは別、とするならば。若さはどこからくるか、というと、将来に期待できるかどうか、ではないか。

そう考えた時に美容以外の方法で若さを目指した方が良いのでは、と思う。歳を取り、老いを楽しみ、死ぬ直前まで「将来に期待する」という発想の転換だ。(そんなことをいうとアンチエイジング業界に反論されそうだけど)


アデラインは自分が望んで若くなり続けたわけではないけれど、彼女の人生を好転させたのは青年エリスに恋したからだった。
そしてラストシーンで、アデラインは鏡を見て白髪が生えたことに気が付く。普通なら嫌がりそうなその白髪を、アデラインは嬉しそうな顔で抜く。
それはきっとエリスと共に人生の老いを経験していけると、将来に期待することが出来たからだと思う。

若く見られるためには(もしかしたら)美容にお金をかけるよりも、映画を観て将来に思いを馳せる方が近道かもしれない。

文章:真央
編集:otaki

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