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私の26年間〜楽しいことも、悔しいことも、悲しいこともたくさんあった26年間の振り返り。〜

割引あり


プロローグ

まずはこのnoteをお読みくださった皆様、ありがとうございます。

わたしは、今話題の芸能人でもYouTuberでもインスタグラマーでもないただのどこにでもいる子育てをする一人の人間です。

特別なことや派手なことは特にない人生だけれど、26年生きてきて頑張りすぎて、無理しすぎて、立ち止まったことがたくさんありました。
でも、そのおかげで気付いたこともたくさんあったので
私の人生を振り返りながら、もし少しでも共感できる部分があってあなたの心になにか残ればいいなと思っています。

今はまだ生まれたばかりの娘がいつかこの本を手に取ったとき自分が生まれる前のママの人生、どんなふうに感じてくれるのか、今からちょっと楽しみです。

オネエ言葉を喋る父

1996年6月、私の父と母は結婚した。
私の父はフィリピン人で母は日本人。よく見かけるフィリピンのハーフの子は母がフィリピン人のパターンが多いので、私は珍しいタイプだと思う。

日本に働きにきていた父と母が出会い、まだ友達関係だった両親だが父が「あんた、フィリピンに来なさいよ」と声をかけたらしい。
ちなみに父がなぜ、オネエ言葉なのかというと歌舞伎町のフィリピン人のゲイバーで働いていたからだ。父は、私には言わなかったけどおそらく女性に恋愛感情を持ったのは私の母だけで、それ以外は男の人が好きなんだろうと子供ながらに薄々気付いていた。
私が小学生のときHey!Say!JUMPにハマり、部屋にポスターを貼っていたとき、父が山田くんを指差して「あら、パパこの子がいいわ♪」と目をキラキラさせていたことを今でもしっかり覚えている。

話は脱線してしまったが、父にフィリピンに来なさいと言われた母は一度も海外に行ったことがなかったのにパスポートを取り、初めての海外でフィリピンを訪れたそうだ。
初めての海外、初めての飛行機、不安なまま日本を飛び立ちフィリピンへ到着。
入国手続きや荷物検査を終え、母は父の迎えを待ち入国ゲートを出た。
ところがそこに父の姿はない。
代わりにいたのは「勢津子さん、ようこそ」と書かれたプラカードを持ったオカマのおじさんだった。日本語は全く話せない様子だ。

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