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パラシュート

ゆるやかに荒れていく肌と心を何とか食い止めるのに必死で、口内炎が二つくらいできていることに気がつかなかった。
付け焼き刃でC1000を3本くらい一気に飲み干して、トロフィーのようにデスクに並べた。

とりあえず今は、トータルでは勝っているからいい。
いやいやまだまだ、と湧く向上心は一旦だけしずまって、戦勝の味を噛み締めよう。
そもそも、ちょっとくらい負けても別にいいような戦いなのだ。

ギャルとして生きたいと思うことがあって、化粧を濃くして、首にあたるほど大きなピアスをして出かけることもある。
涙袋にピンクを塗ることは男ウケが悪いとか、というかキャラじゃないとか、肩を出すとはしたない印象がつくとか、そんなことを本当は間に受け止めていたけれど、いちいち気にしないフリをしていたら本当に気にならなくなった。大人になり、バランスが取れるようになったので、好きな私と好きでなくてもいい私をある程度使い分けられるようになった。
ひとつ大人のはしごを登るたび、自分が不時着できるように準備されている湖の深さが増す。

どうでもいいことをきちんとどうでもいいと思わないと、教訓にもならない無駄な怪我をたくさんしてしまう。
「もっと自分を大好きに」みたいな広告は、本当に自分と向き合う時間を否定しているような気もする。
本当に自分を愛したいなら、好きな色に塗ったり、はたまた何も塗らなかったりした目をやさしく撫でてあげるほどの余裕こそが必要だ。

あかるい髪や軽いメンタリティを軽蔑しないでほしいし、逆にすぐに「そもそも」と問いを立てる癖も面倒がらないでほしい。
自分さえも自分を許せなかった日々は自分の筋肉を強めるためには必要で、一方で痛めつけた結果治りにくい筋肉痛を抱えてもいる。
自分を許せるようになるということは、許せる自分になることよりも許す力を高めることだと思う。
それでも、でも、でも、やっぱりまだまだ納得いってない自分もいる。変われずもがく自分もいる。自分を憎む自分もいる。それはそれでなんかいじらしいなと思う。

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