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打ちあがることも散ることもない思い出は

今日は全国各地で花火が上がるらしい。
というかもう上がりきったっぽい。

私は、オフィス街のなかに消えそうに建つビルの6階で、一人で部屋中にキーボードの打音を散らしている。上司から電話がかかり、その脇でSNSをチェックする。冷夏の風がふわりと室内に入り込む。

一緒に行きたい人がいたのに行けなかった、何年か前の花火大会のことをふと思い出す。

好きな人と過ごす日に限って、私は雨を降らす。
もしくは、女優が役作りでしかしないような短さに髪を切る。
自信が無いくせに従属したくないから、試すようなことばかりしてしまう。
お母さんに構って欲しくてわざといたずらをする子どものように。

花火は大体毎年見れるし、一緒に行く人も、行きたいと思う人も変わる。(今年は色々あってもう見れなさそうだけど)
けれどあの夏に、本当にその人も一緒に見たいと思ってくれていたか、それが重要だったし、今でも気がかりになる。

感傷に浸した目を細めて、あの日を見据えてみる。
たとえば花火じゃなくてプラネタリウムに行く約束だったなら、違う今を違う私で過ごしていたかもしれない。
自身の不器用さを綺麗な記憶として残すために、夏の風物詩を利用する。

あの時間違えた手のつなぎ方、その感触を思い出して気にすることが無くなれば、またひとつ大人になれるのだろうか。
外を見る。まだポツポツと他のビルに光が灯っていて、それはそれで花火みたいだなと嬉しくなる。
そして記憶をもう一度底に沈めるために、そして一人のオフィスから早く脱出するために、キーボードをせかせかと叩き始めた。

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夏の思い出

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